清澄な風景画「ニュージーランド」

                                      背景は、テカポ湖















  



                                           



 

[その2 How to enjoy life]




☆ 十七日の夜、リッカートン地区のクラブへ連れていってくれ

 た。クラブとは何だろう。想像は出来るが実際が分からないと

 感じていた。



  名称は「Labourer's Club」だから、私の町、鈴鹿で強いて

 言えば「勤労福祉会館」に当たる。でもここでは大違いだった。

 会議室だの小集会室だのと区分けして打ち合わせや相談ごと、

 学習会やビジネスの類いを想定した施設では全然ない。



  入ってフロントにノートが開かれている。ピーターは会員だ

 から署名はしない。私は「ヴィジター」としてこのノートに名

 前と住所とを書く。それを保証するように彼がくしゃくしゃと

 サインした。



  ホールには五十余のテーブルがあり、折しもビールのジョッ

 キを前に数組の談話する者が席に着いている。だが込み合う様

 子はない。



  そのホールの片面はゲーム機が二十台も並ぶ。



  ピーターはコイン(二十セント)を入れて三列の絵柄を合わ

 せようとした。一度目はスッて二度目、合った。すると一升ほ

 どの容量のボウルにほぼ一杯のコイン(本物)が出てきた。



  ホールの他の二面は、ビールやワインのカウンターと、スナ

 ックのカウンターとになっている。通り抜けると略式の玉突台

 が数台、さらに通り抜けて降りると中地下の広いホールには二

 十台もの撞球台があった。先客は一グループだけ。



  先ほどのコインを入れると、長いコードでフェルトに近づき

 照らす電灯が三十分間、つく。



 「やあ。」と言いながら、Gorgeが来た。二人で勝負を楽しむ

 のだ。



 「ユタカ、できるか。」と聞く。

 「いや、ルールを知らない。今まで球をプッシュした経験、一

 度もない」

 「すぐ分かるはずだ。」とgorge が言い、

 「見ていて学ぼう。」と私は傍らの椅子に下がった。



  ピーターは、先ほどの儲けで支払ったのだろうが、スコッチ

 三杯を盆に載せ、上のフロントから運んできて、「スランジ!」

 と口を潤してからキューを選んだ。(乾杯の時、普通は「チア

 ーズ」と言う。だが、彼らスコティッシュ仲間では、「スラン

 ジ」と叫ぶ。)



  ゲームが進むにつれて、赤玉なら一点、この色の玉なら何点

 とか、教えて貰ったり、聞いたりする。点数表示板には、どん

 なゲームにも応用できるソロバンのような装置があった。

 Gorgeは毎回強かった。



  ゲーム中にピーターがもう一度、Gorgeが一度、スコッチの

 お代わりを運んだ。



  ジュンとクリス、妻の三人はショッピングを楽しんでいたの

 だが、ビリヤードが終わる頃にホールに入ってきた。電灯用の

 コインを二度、入れたから一時間余りの遊びだったのだ。



  最初のホールに戻る。そしてさらに奥にある体育館風のフロ

 アーに入る。



  そこには音楽が鳴り、二十人ほどのシニアーが並んでステッ

 プを踏んでいた。



 「ラインダンスやね。」と妻が言い、ジュンと二人で列に加わ

 り真似ている。



  曲の間合いに、二三の人が物を言い、教える。



  ひとりに「エンジョイしてますか?」と言うと、当たり前と

 いった表情で、「もちろん、楽しいよ。」とまだ足踏みの余韻

 を下半身に残しながら、ボーイッシュに刈り上げた半白の髪型

 で答えた。



  白人女性が、スタイル良く、しかも可愛く老いている。<感

 じがいいな>と思った。



  宵になればここでこうして楽しめる。この国には当たり前の

 ことなのだった。



  帰りがけにクリスがコインを十枚ほどゲーム機に入れた。下

 のコインが出たり引っ込んだりするうち、ピーターが手を出す。

 彼の賭け方は荒い。そして一時は百枚ほどにも膨らんだコイン

 を、結局はスッてしまった。



  ジョージーは手を出さなかった。「ギャンブルはだめさ」と

 他人事のように言った。



  帰り道にジョージの家に寄った。



  彼は大学で用務員をしたあと退職し、今や年金暮らし。財力

 のない者には政府が提供する住宅に住む。小ぢんまりとしてい

 た。それでもダイニングに六人が座り、スコッチを嗜みながら

 談笑するに問題はない。



  クリスが台所を見せた。「狭いから」と、すべて調理台や食

 台の類は折り畳みか格納式になっていて、清潔で整頓されてい

 た。料理は好きらしかった。



  一時間ほどで辞去した。



  帰宅してすぐ「上へ行く。」と言うと、

 「今から日記?」とジュンが聞いた。

 「ええ、今日は書くことが多いから。」と答えると、

 「毎日が新しい経験(new experience)だからねえ。」とピータ

 ーが笑いながら言った。



 「私たちにはすべてがnew experience。じゃ、おやすみ。」と

 階上の寝室に向かった。

                              ☆

[その3 仲良しと個人主義]




☆ 十組ほどの夫婦が集まるパーティーにも連れていってもらっ

 た。日曜日の午後だ。年に一度の会合だと言う。



  ジョージ夫妻やフランク夫妻ももちろん来た。会場は牧場主

 の庭で、そこは広いというよりふんだんに場所がある。



  平屋のテラス(広い縁側)の前に寺の境内ほどの庭が広がる。

 ここにはローン・ボールとクロケット(ゲート・ボール)の一

 コース、それに輪投げがセットされていたし、中庭に至るサン・

 ルーム脇の板塀にはダーツの標的が二面、掲げられていた。塀

 の外は紅葉など高木の木陰を楽しむ庭がある。そこには二ホー

 ルの略式ゴルフが、数本のクラブとボールと共にゲームを待っ

 ていた。



  各家族はビーチ・パラソル下の丸テーブルに着いた。

 「Oh, oh.」と声を上げながら、互いに出会いを懐かしむ。つき

 従う私たちをラッセル夫妻は紹介する。握手、肩に手、背中に

 手、あるいは頬に唇。慣れないから私たちは忙しい。可愛いシ

 ニア婦人の頬を、唇脇を、本当にわが唇で湿らせていいものだ

 ろうか、音だけ立てるのがいいのか、そんなことに迷う暇もな

 い。相手は構わず唇の正面を我が口唇のはずれ一センチもない

 ところに押しつける。その感触が人の好意、好感を、以心伝心

 ならぬ「以唇伝心」する。



 「いつまでいるの?」「東京?」「どこを観光した?」「楽し

 んで?」「休暇?」



  私の左耳は聴力を失っている。その方向から問われれば「?」

 と問い直して首ごと右耳を寄せる。



 「Ah,-for three weeks.」

 「No, not Tokyo. Nagoya, do you know? We're living near

  Nagoya, --about 1 hour.」

 「YYes, we are enjoying.」

 「Yes, I like this country.--mmh, people and cars are

  not so crowded, and--the air is very clear,the nice 

  enviroment.」



  こうして文章にすると英語らしくもないが、会話としては立

 派?に成り立つ。



  一人がゲームに先立ち、説明する。「工場の持ち主なんだ。

 日本に行ったことがある。」とピーターが事前教育する。その

 後ビデオの撮影を頼んだが、その時、

 「MEIDENの部品を作っている。」「一度日本へ行った。神戸と

 HUKIOKIに行った。」と話した。明電舎のことなら従弟がいる

 んだが、と思う間もなく「フキオキ」とはどこのことかと、場面の

 進行に遅れながら思いを巡らす。



  ビデオを渡してテーブルに戻ってからやっと<あ、福岡だ>

 と思い当たった。



  テーブルには各自家から持ってきたビールやつまみ、クラッ

 カーなどが並ぶ。紅茶をポットから注ぎ、湯気を立てる組もあ

 る。しかし、それを他の夫婦に振る舞うことはない。各自が自

 らのために飲食物を持参し楽しむ。



  ゲームは、夫婦でない男女カップルがチームとなって、チー

 ム対抗試合をする。一種目を二試合ずつする。既に得点記入表

 が印刷されており、配られた。



  私はジュンと組み、妻はピーターとペアになった。



  クロケットに行き、相手チームと握手するや始まった。もち

 ろん私はあの木のハンマーを握るのは初めてだ。彼方のかすが

 いみたいなゲートに、それでも二回通過させた。小踊りして喜

 ぶ。相手は、入らない。すると記入表にジュンは「3」と記入

 した。「勝てば3、ドローなら2、負けは1」と約束されてあ

 る。



  いきなりテラスの方からホイッスルの鳴るのが聞こえた。こ

 れは「ここで今のゲームは終了、休憩に入る」という合図であっ

 た。



  元のテーブルに戻り、手柄を自慢し失敗を残念がりながら、

 飲む、喰う。庭一面が騒々しい談笑の花盛りになる。だが飲食

 物の交錯はない。自前のものを食べる。



  私たちはビールを飲んだ。



  外の光を存分に浴び、外気を身体いっぱいに呼吸して「存在」

 を楽しむ。この時、私はこの在り方について「吟味・詮索・思

 念」することの方に傾いていたのか、それよりも肉も魂も今を

 エンジョイする方を選んでいたのだったか、思い出せない。



  いい午後だった。



  またいきなりホイッスルが鳴った。すると次のゲームが再開

 される。私たちは今度はダーツで、意地悪っぽい冗談をするお

 じさんと、試合前の握手をした。



  ダーツの細かい筋をねらい、最初は1の筋、それに入れば2

 の筋と進む。たまたま的を得て躍り上がったあとで、「今度は

 3?」などと矢を構えながら聞く。するとおじさんは「Yes,

  here.」指で示す。だがそこは3ではない。8だ。そんなふう

 に相手に損害を与えようとする。



  ふざけ半分、スポーツ半分、いやリクリエーションを楽しむ。

 するとまたいきなりホイッスルが鳴るのだった。



  十分間のゲームのあと十分間の飲み喰い、これを繰り返す。

 すると、食べてばかりなら不健康だろうし、ゲームばかりなら

 時に無理もしようが、交互の進行で適度に飲食と運動とを楽し

 むことができる。



  五種目各二回のゲームが終わった。



  バーベキューになる。ピーターは折り畳み式のバーベキュー

 台を車のトランクから出してきた。乳母車ほどの台だ。LPガス

 に点火しホイルを敷き、ハンバーグ様の材料をジュージューと

 焼き始めた。庭の一隅の煉瓦の窯には炭を積み紙に瓶からアル

 コールを落として火を起こす組もある。そこではウィンナ・ソ

 ーセージをバナナのように繋げたままで焼いていた。



  そして例によって各自が食べるのだ。各自の持参物を各自が

 焼き、自らの口に入れる。ひとに振る舞うことはない。そうい

 う楽しみ方を仲良しの集まりの中で行う。



  風が出てきた。



  突風があって、私たちのパラソルが倒れた。そして家から持っ

 て来たグラスを一本割って、芝生の上にガラスが散り液がこぼ

 れた。すると近くの可愛いシニア婦人が二人助力する。古新聞

 にガラスをくるみ、パラソルは、他の組がすでにそうしている

 ように、朝顔のつぼみのように巻いた。



  そのあとダンス・パーティーが計画されていたのだったが、

 風ばかりか寒くもなってきた。



 「これでお開きにしよう。」リーダーの工場主は宣言して、参

 加者は持ち物をまとめ始めた。



  ビールのためか寒さのためか、私たちはトイレを望んでいて、

 テラスからサンルームに入り、順番を待って用を足した。



  奥さんは浅黒い面長の美人で、カウボーイ・ハットの頑丈男

 の旦那のそばに立つと、よく西部劇で観る一シーンを思わせた。

 発音は子音が柔らかく、風に流れるような言葉だった。



 「娘が、この六月から北海道(すぐには出なかったので手助け

 した。日本の地名は覚えにくいのだろう)の高校で英語会話の

 助手をするの。」



  そのときそのお嬢さんは脚の下に弧を付けて揺らせるように

 なった椅子に座って、控えめな表情でこちらに笑顔を送ってい

 た。



 「賢明な判断だよ。」ピーターは中止したことをそう評価しな

 がら、松林の一箇所をくぐって牧場の一隅にある物置小屋脇の

 車に近づいた。



  ジョージが車を出さないで待っていた。



  道に出ると先導するようにジョージが先に走った。町まで十

 分に余る道のりだから、ここは郊外の牧場主だったのだ。



  最近は牧場主も町に勤め先を持つ。今年は草を乾きで枯らさ

 ないようにし、来年は五六十頭の羊を入れる、と先刻、奥さん

 が牧羊犬の頭を撫でながらが言ったのを記憶に繰り返して、私

 は車の窓外の農場を観ていた。



  町に入る頃、たそがれてきた。政府提供のジョージの住宅に

 入る。棟つながりの長屋になっていた。



  スコッチで口を潤しながら、この場のために焼いてあったと

 思われるパイを、大きく丸ごと、クリシーが捧げ持って出て、

 「どう?」と勧める。



  台所に入って切ってきた。美味しいのだ。私の褒め言葉に、

 彼女は「テレビで観て、ノート取るの。」と言い、今度は時の

 経過を十分に思わせるノートをどこからか持って来て、開いて

 見せた。そこにはすべて大文字で活字体の筆跡が細かく詰めら

 れてあった。(※この項末)



  それから毛糸の服を見せた。彼女の手編みだった。緻密です

 きのない編みようと仕立てとを、かつて量産をしなかったころ

 洋服屋の高級品の中に見た、と思った。。 後日、彼女はパイ

 の調理方を紙に書き写して私たちに届けた。ノート半ページ程

 の罫紙に、あの大文字活字体で編み物の目のように記し、別紙

 で姓名と住所とが書かれてあったが、それは不動産屋のコマー

 シャルの中心部分を切った物だった。若い実業家が迫る正面写

 真に「"IList and Sell Houses!"  "it's that simple!"

                      "REAL ESTIMATE"

  などとあった。これはクリスが「(こちらに住んでいいお友

 達になりませんか)」と言っているようだった。

 

  ※(クリシーの料理ノート) 

    CHEESE FLAN (POTATO PASTRY)

    4(OZ)Flour, 1/2teaspoon Salt, 2(OZ)Butter, 4(OZ)Mashed

  Potato, 1teaspoon Baking Powder. Rub Butterinto Flour 

  and Salt, add Potato and Baking Powder. You may need a 

   little water to bind , line dish  with Pastry.

        FILLING

     4(OZ)Grated Cheese, 1/2cup Milk, 1Egg, Salt, pinch 

   Cayenne, 1Thick Slice Bread Crumbed, 1MediumOnion 

   Chopped. 

     Mix all filling ingredients together, pour into Pie.

    Bake at 190゜C(375゜F) for 30 - 40 minutes.

                                                           ☆

☆6☆ 英語学習の風景  ☆




☆ 前にも書いたが、ホールの周りに十人程度の教室が六つほど

 あり、階段の前の事務室の先にも二部屋があった。その一つに

 (KAYE STEWART)と白い札が貼ってある。



  オリエンテーションの大部分がアクティヴィティ参加の是非と参加

 費用の徴収に当てられたので、商売人に身を任せた顧客のよう

 な状況を思ったが、すでに昼の時間に食い込んでから本来の情

 報が提供された。



  ケイ(先生と書きたいのだが、本人の心情にもこの国の雰囲

 気にもそぐわない)は、静かに、しかしそらさず話すタイプだ。

 欠席届は必ずする、午前中にTea Breakがある、ビスケットと

 飲物が提供されるが教室では飲食しない、新聞閲覧とビリヤー

 ドは自由に、校内ではできるだけ英語で話しを、スタッフ・ル

 ームには入らない、などと語る。



  本来ならテストをし、結果でクラスを決めるのらしい。我々

 にも単語のテストがあった。日本人には極めて易しいから高卒

 の力ですいすいと正解が出るだろう。ただし紛らわしくしては

 ある。



  私たちは、短期間だし六人の小人数だからか、クラス分けを

 しなかった。もしあれば妻と別クラスにはしないで欲しいと強

 烈に要望することになっていた。



  発音から始まった。[^]とその有声音の[^]とを、いろんな言

 葉を示して繰り返した。かつて習った若い頃は、口唇、口蓋、

 舌端、歯茎すべて意のままだったように思う。だが今では、慣

 れない機器を操るようにしか動いてくれないのだった。



  [l][r]になると、発音するにはまあいいとしても、聞き分け

 がままならない。(Mrs. Loot is rich. Mr. Fred Penny is

 poor.)などと訓練用のフレーズが遊び道具のようにたくさん用

 意されていて、学習に飽きがこない。[f][v]になる時は、すっ

 かりこの学校、先生、学習が気に入ってしまっていた。



  ケイはうまく褒めた。言葉を変え、それこそ手を変え品を変

 えて誉めた。だから当てられて答えを済ませた仲間は、いずれ

 も幸せそうだった。



  二週間の学習で一番気に入ったのは、歌詞の聞き取りだった。

 音楽を聞くのが第一に快く、歌の中の多すぎる空欄を、テレビ

 のクイズ番組に出演したかのように興じて学習した。



  次にその全てを収録する。歌を知っている人は繰り返し歌う

 といい。

  

  なお、文中にはもともとおびただしい(ブランク)が施されてい

 たが、授業後復元したものを記載した。



 OCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC

 E YESTERDAY ONCE MORE      The Carpenters  11/11 E

 E                                                E

 EWhen I was young I'd listen to the radio        E

 EWaiting for my favorite songs.                  E

 EWhen they played I'd sing along.It made me smile.

 EThose were such happy times and not so long ago.E

 EHow I wondered where they'd gone.               E

 EBut they're back again just like a long lost    E

 E friend.                                        E

 EAll the songs I loved so well.                  E

 E                                                E

 E* Every shalalala,every wow wow wow still shine.E

 E Every shingalingaling that they're starting to E

 E   sing  - fine.                                E

 E When they get to the part where he's breaking  E

 E   her heart,                                   E

 E It can really make me cry, just like before.   E

 E It's yesterdy once more.                       E

 E                                                E

 E Looking back on how it was in years gone by,   E

 E And the good times that I had,                 E

 E Makes today seem rahter sad - so much has      E

 E    changed.                                    E

 E It was songs of love that I would sing to then E

 E And I'd memorize each word.                    E

 E Those old melodies still sound so good to me   E

 E As they melt the years away.                   E

 E               ※ refrain 第二節 E

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC

 OCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC     

 E    SING        The Carpenters    11/16   E     

 E                                           E     

 E Sing - sing a song.                       E     

 E Sing out laud, sing out strong.           E     

 E Sing of good things, not bad.             E     

 E Sing of happy, not sad.                   E     

 E     Sing - sing a song.                   E     

 E     Make it simple,                       E     

 E     To last your whole life long.         E     

 E     Don't worry that it's not good enough.E     

 E     For anyone else to hear,              E     

 E     Just sing, sing a song.               E     

 E Sing - sing a song.                       E     

 E Let the world sing along.                 E     

 E Sing of love that could be.               E     

 E Sing for you and for me.                  E     

 E              ※ refrain 第二節 E     

 E Just sing, sing a song.                   E     

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC     

 OCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC 

 E  LOVE LETTERS in the SAND    Jim Reeves  11/18E 

 E                                               E 

 E On a day like today we passed the time away   E 

 E Writing love letters in the sand.             E 

 E How you laughed when I cried                  E 

 E   Each time I saw the tide                    E 

 E Take our love letters from the sand.          E 

 E                                               E 

 EYou made a vow , that you would ever be true.  E 

 EBut somehow ,that vow meant nothing to you.    E 

 E                                               E 

 E Now my broken heart aches                     E 

 E   with every wave that breaks                 E 

 E Over the letters in the sands.                E 

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC 

  CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC

 E  I love you because ………               11/22 E

 E                                                E

 EI love you because you understand dear          E

 EEvery single thing I try to do.                 E

 EYou're always there to lend a helping hands dearE

 EI love you most of all because you're you.      E

 E                                                E

 E*No matter what the world may say about me,     E

 E I know your love will always see me through.   E

 E I love you for the way you never doubt me,     E

 E But most of all I love you 'cause you're you.  E

 E                                                E

 EI love you because my heart is lighter          E

 EEvery time I'm walking by your side.            E

 EI love you because the future's brighter        E

 EThe door to happy you open wide.                E

 E                                                E

 E*No matter what the world may say about me,     E

 E I know your love will always see me through.   E

 E I love you for a hundred thousand reasons.     E

 E But most of all, I love you, 'cause you're you.E

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC



  楽しい授業にも宿題があった。だがそれが苦になったこと

 はなかった。いつも「Voluntary Homework]」だったからだ。

  自分の服装の全て、人相の全てなどを考えてくるとか、暗記

  があった。



 「A clever class likes lemon jelly.」この暗記は[l]音練

 習のためだ。それなら、「The early bird catches the worm.

 (早起きは三文の得)」は何の練習だろうか。



  ともあれ学習の成果があって、終了証書(ほんとうは出席証

 明書Certificate of Attencance)の授与式になった。



  一言挨拶が要るとケイが言い、私たちはそれぞれ用意をした。



  他人のは記録に残っていないから、私のをここに記す。



 OCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC

 E I've just retired and I've come here as the    E

 Ebeginning of my second life. Though my stay hereE

 Eis short, I can learn much.                     E

 E The enviroment is clear and the people here areE

 Ealways friendly to me. So I could enjoy the daysE

 Eof two weeks.                                   E

 E Now I hope I will come again here and live in  E

 Ethis clear island.                              E

 E Thank you, Kaye, and thanks to those who       E

 Eorganized this stay, and to all who concerned   E

 Ewith this stay.                                 E

 E As the start is nice, my second life will      E

 Esurely go well.                                 E

 E Good luck, every body. Thank you.              E

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC



   こんな時、すべての生徒が参列する。二十分ほどの式だが、

 年齢や国籍を越えて志が共通することを全身で感じる。私は緊

 張して、暗唱した文章がうまく出て来ない気がしたので、原稿

 を握って見ながらスピーチした。



  名前は知らないが、同じく学ぶ日本の若者に予め操作方法を

 示し、式の一部始終をビデオに収めて貰った。



   植田さんは、本格的な英語学習に並々ならぬ意欲を示し、こ

 の機会だけで満足しそうにはなかった。若さが羨ましかった。

 伊原さんは、言葉のままならぬ部分を身振りと表情で補った。

 いや、メインは身振りで言葉がそれを補ったのかも知れない。

 そして、異国でのコミュニケーションが不可能ではないとの自

 信を得たのだった。だからウイークエンドは意欲的に新体験に

 挑戦した。江藤、尾上の二婦人を伴い、船酔にもめげずWhale-

 Watchingに海へ繰り出し、そして見事に鯨に出会ったのだった。

 千載一遇のチャンスといえども日和見ではものにできないのだ。



  各自がそれぞれ感じ、学び、そして学校を離れる日、モーテ

 ルまで送ってきたホスト家族は、いずれも立ち去りがたく車の

 傍らにたたずむ。



  抱擁やキッスもありうべき形だった。



  私は通りまで車を追い、角に消えるまで見送った。そこに残っ

 た風景は、空が日本の秋よりも澄んでいた。



                                                        ☆

☆7☆ 課外の風景 ☆




☆ 私たちの学習は、午前中だけであった。もちろん若者達の多

 くは午後も学ぶ。全日を学習し、幾度もテストを受け、それぞ

 れのクラス(段級)に挑んでゆく。それから見れば私たちのは

 趣味か道楽の類いだろう。



  午後はそれぞれ有料のアクティヴィティー(Activity=課外活動)が用

 意されていた。だが六人しかいない生徒が各自の意志で参加不

 参加を決める。どんな小人数になるか気になるところだったが、

 それぞれ適当な結果になった。



  順に示そう。



 「Wool Spinning」、「Christchurch Sightseeing」、

 「Horseriding*」、「Quilling」、「Garden Tour」、

 「Fishing Trip**」、「Maori Cultural Program」。

  *印は私たち夫婦が参加しなかったものだし、**印は誰も参

 加しなくて取りやめになったものだ。



 「Wool Spinning」はまず、木製の糸車を片足首の上下で器用

 に回し、同時に左手に握った綿状の羊毛が捻れて出るのを調節

 する。一見何でもなく見えて実は手足の妙なる器用さが必要な

 のだった。先生は小柄な老婦人で、ウエーブした半銀半黒の髪

 も白く透明感を残す肌の色も、そしてゆっくりと話す言葉も、

 私には今残る数少ない宝のように思えた。



  人の品性とは理屈ではない。幼児の頃からしつけを得て、長

 ずれば公序良俗の世に善を見つめて生を完成しようとする、そ

 の集積がここにある。今彼女の全てが人の在りようの「範」で

 あった。



  私はだから作業の試みを早くも諦めてビデオに収める。「足

 踏み、どうぞ。ほら右手を、こう手元へ引いて、そう、手前に

 流して、手元に引いて、手前に流し、手元に引いて、手前に流

 しーー」とリズムを形作っていく。妻が指導を受けた。次第に

 良いリズムが出来たところで足踏みを誤り、逆回転をした。す

 るとよじれに変調を来たして、切れてしまった。でも、「オー

 残念。お上手でしたよ。」と人の心を大事にする。次の人に実

 習を勧めるにも「Would you try it ?」と敬語を使う。声や抑

 揚は文章にならないが、そこに溢れる品性は私の魂にしみた。



  小型織り機があって、平織りから紗の織り、さらにそのバリ

 エーションなど、平凡な道具ながら簡単なハンドルの上下で織

 れるようによく工夫してある。<歴史があるんだ>私はそう思

 った。大量生産の現代に物を作るための細やかな意図やセンス

 はない。いや、そういうものが必要だとも気づかないでいる。

 出来た物を選ぶのがセンスの全てだと誤解さえしている。



  私は近づいて話しをした。



 「いえ、織りの教師をしているだけではありません。ピアノの

 先生もしています。」「あの人? あれは私の夫です。高等学

 校で宗教の講師をしています。」大柄で頑丈そうな老人が、自

 分の運んだ実習用具の傍らに黙ってたたずんでいたが、会話を

 側聞してか柔らかな笑みをこちらに送った。今日は老妻の助手

 に徹している。



 「織り機をオートマティックに改善したのが日本人のトヨダと

 言う人ですね。豊田自動織機と言う会社があります。これから

 ブランチ会社が出来て、これが自動車のトヨタなんですよ。」



  息子が豊田自動織機に勤めるから、私はつい話題をこう発展

 させた。



  すると「そーう。トヨタさんのことは知ってましたけど、ト

 ヨタと同じとは知りませんでした。」と目を見開いて驚いて見

 せた。



  次に「Quilling」の話しをしよう。



  前日、ジュンに、

 「明日の午後のQuillingって何をするのかな。辞書にはこんな

 言葉がないけどーー」と言ってみる。 

 「ノウ、知らない。分からない。」と、ジュンは冷蔵庫に貼っ

 た日課表のその綴りを見ながら言った。



  その夜、ベッドに入ってからも、辞書にその言葉の見出せな

 かったことが気になっていた。



  ふと、<あ、そうか>と思った。<あれはミスタイプだ。

 Quiltingの[l]と[t]とを間違えたんだ>。私は難問を解いたよ

 うな気分になって、すぐにでも起きあがってジュンに<分かっ

 たよ>と告げたい気分を抑えていた。



  翌朝、「ジュン。ゆうべ、あれはキルティングのことだと気

 づいた。」と言うと、「多分そうね。」と応じた。 



  午後、快く肉の着いた三十代の先生が小道具を携えて教室に

 は入ってきた。そしてなんと「Quilling」とはっきり書くでは

 ないか、ホワイト・ボードに。



  紙細工の一種だった。幅が三ミリほどの細長い色紙を、細い

 先割れ棒で挟んで詰めた輪に巻く。そして台紙に糊で固定する。

 それが絵になる。



  樹になり、枝になり、花に実になる。アヒルができ茸ができ

 自転車ができる。そういう色紙の貼り細工を、五人のシニアが

 楽しんだ。



  先生に事の起こりを尋ねると、「もとフランスの手芸です。」

 と答えた。使った材料は、ごく一部分で、袋の大部分を幼児雑

 誌の付録のおもちゃ作りの材料のようにビニール袋に入れて、

 持ち帰った。透けた中からハイテク電気器具の配線のように様

 々に色づけられた紙線が見える。



  小学校の生徒が放課を喜ぶような気分で、階下のモール

 (Mall=歩行者専用商店街)に降り、バスの発車時間まで散歩

 を楽しむのだった。



  最後にあったのが、「マオリ・文化」だった。



  この国はもとは無人島で、最初の住人は、太平洋の島々をテ

 リトリーとするポリネシア人が南下したのだそうだ。マオリ族

 という。その後、オランダ人のタスマンが「発見する」ことに

 なる。オランダにジーランドだかゼランドとかがあって、似て

 いたため「New Zealand」と名付けたという。



  しかし現代の進歩人には、原住民の権利を無視したり、文化

 を剥奪することを正当化できない。バス停近くの小学校の塀に

 大きな落書き風の絵があって、「****年に西洋人がこの国を

 『再』発見した」と書いてある。



  毎朝のことだが、六時のニュースをほぼ十分間聞くと、マオ

 リ語のニュースに変わる。



 「キオラ。*** papanui mairehau wainoni aranui heihei 

 upawa papaki akaroa ***」と聞く内に変な気になるのだった。

 「キオラ」はニュースの冒頭に必ず聞くから「挨拶」だとすぐ

 理解できる。それ以外は、実はニュースを書き採ったものでは

 ない。現地地図の中から元はマオリ語と思える地名を、今いた

 ずら半分に並べてみたに過ぎないのだが、アナウンスは実際こ

 う言っているように聞こえるのだ。



  ハワイの言葉と同じだった。原日本語もこれに同質で、子音

 が単純かついずれの音節も母音をもつ。母音中心言語なのであ

 る。ポリネシア系言語はすべて母音言語で、「アロハオエ」で

 も私たち日本人は原語で歌う方が楽でしかも音楽的だ。かつて

 ハワイ、オアフ島の「ポリネシア文化センター」を訪れたとき

 の感想だが、言語も文化も、太平洋の島々を我が庭のように航

 海する人々に共有の物があったのだろうか。



  今、国民の十八%ほどがマオリ族で、他の文明国が犯した過

 ちの道を、これ以上深入りしないための努力が各分野でなされ

 ている。国営放送のニュースの言語構成もその一環だ。



  さてその時になった。「貫禄」と称しては失礼ではないかと

 懸念はするが、そんな母と娘、もう一人はほっそりとしたギタ

 リストが、かなり遅刻して教室を訪れた。



  少し解説があって、歌を習った。それを歌いながら幼稚園の

 お遊戯のような振り付けを習い、並んで演じた。



  最初の歌を紹介する。



 OCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC

 E A   E   I  OU   A   E   I  OU                  E

 E 3---3---4--34---4---4---5--45---               E

 E Pi-ko PikoPikoPikoPikoPikoToroPiko             E

 E 8---  7   6   5   4   3   5-- 42---            E

 E To-ro ToroToroToroToroToroPiko-Toro            E

 E 7---  6   5   4   3   2   3--  21---           E

 E 何度も繰り返す。数字は音階(1=ド,2=レ)、-は長さ E

 WCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCC



   二人が向き合って二本の竹筒を投げ交換する「遊戯」も習っ

 た。



  床を打ち筒と筒を打ち合わせる基本動作が済むと、やがてバ

 リエーションが次第に複雑になる。すると笑い声や叫びがあが

 る。優しい婦人がギターを奏で、技を外さぬ少数と教える側と

 が歌い演じる。やがて筒を転がして床にのたうつ者や相棒の失

 敗を前に笑いこける者も出始めるのだった。



  ポイと称する踊りの道具がある。糸玉に薄皮をかぶせたよう

 なものに紐が着く。二個を両手にふりまわす。回転が軽業のよ

 うに快い。時に互いに逆回転する二個の球を片手で扱ったりす

 る。



  数日後、クインズ・タウンのディナーショウでポイをもった

 腰蓑姿の数人女性が、航海する様を踊ったが、ポイ回しはポリ

 ネシア文化の一要素だった。



  終わると、いつものように私は話すために近寄った。

 「あのこ? 私の娘です。高校生。ええ、だから日本語を少し

 習ってます。」



  私が母音の多い日本語との類似を話すと、こう答えた。

 「ムツカシイ」。



  会話を側聞する娘が日本語を披露して笑顔を私に向けた。貫

 禄ある重量感の女性だが、優しくこだわりのない目をしていた。

                              ☆

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