メルヒェン街道の風景画「ニュージーランド」

         背景は、街道の風景









 





☆ ☆化学的清潔感☆




☆ Gottingenに着いたとき、雨が降っていた。街センターのマ

 ルクト広場まで、駅から十分ほどある。近づくにつれて保存に

 努める木組みの家並みが多く、カラフルになる。そして雰囲気

 も時代がかってくる。



  旧市庁舎前がマルクト・プラッツ。「がちょう姫」の像があ

 るので、まずはそこを目指した。雨がそぼ降る。傘の滴の下か

 ら前方をうかがい、街並みを眺め、目的の場所に着いたとき、

 広場に陣取る青物店の数も、果物や野菜を物色する買い物の主

 婦もさほど多くはない。



  雨に濡れるがちょう姫の像を後ろにして写真を撮る。大きな

 買い物篭とがちょうとを従えているのは分かるが、姫の表情が

 どうなのかは、雨で濡れるからよく分からない。そばの果物屋

 が、雨よけテントの下から私たちの様子を見ていた。



  なにもこんな日にレインコートを着てまでこのがちょう姫を

 撮影しに来ることもあるまいに、日程を組んでいるから律儀に

 実施しているのだ。



  私の願う「支配されない」あり方に、私はいつのまにか逆ら

 っている。



  旧市庁舎に入ると、広間の梁にはぐるりと絵が描かれていた。

 街の始まり、街の成り立ち、戦争や改革、街を救った人等々、

 絵だけからその背景を想像していく。



 「ここの大学からな、ノーベル賞受賞者が三十何人も出たんや

 て。」と妻が解説した。

 「そうか、偉いとこやなあ。」

 「ガウスなんか、十マルク札の絵になっとるって。」

 「そう。ガウスってさ、数学の神様みたいに言われとる人やさ」

 「数学ばかりやない、天文学とか、物理学とか。」

 「天才、秀才や。」



  数学だけは「きれい」な学問だと私は思っている。欲得、身

 なり、交友などの世濁に関わりが薄く、ひたすら純粋思考に没

 頭する。だからガウスに縁ある土産を、是非ともここで買おう

 と、その時思ったのだ。



  土産物を覗くと、それは幾つもあった。Tシャツに肖像を描

 いたりもしてある。もちろん絵はがきもあった。



  結論を言おう。買わなかった。理由は、通常のものに較べて

 高かったし、ガウスをネタに「儲け」を計るのことを「邪道」

 だと感じたからだった。



  きれいなものを求めて汚れに手を貸すことはない。



  街並みを眺めビデオに撮って、一郭を回ってみた。もう慣れ

 たからか、普通の街に思えた。本屋、写真屋、薬屋などがあっ

 た。特別に中を覗きもしなかった。



 「早いけど昼ご飯にしよか。」



  通りからご馳走の見える店がいい。そこには魚介類が、生の

 も調理されたのも並び、その他に和(あ)え物なども豊富に陳

 列してあった。奥にはテーブルを置き、先客がもう数組、ご馳

 走を賞味している。



 「あれ、鰯の酢かなあ。大きい鰯。あれ食べたい。」私はそう

 決めて、入ることにした。



  私のディッシュには、鰯の酢(二本、つまり一尾分)、野菜

 煮、茹でた丸ジャガイモが盛られ、妻にはパエリャにポテト・

 フライを盛り合わせてもらった。飲物は、私は花瓶みたいなジョ

 ッキにギネス黒ビールを、妻はハイネッケンの小瓶を、それぞ

 れ注文して、食べはじめる前にはビデオ撮影までする。



  だから食べる前から大の満足だった。



 「おいしいぜ、鰯。どう? ちょっと切ろか?」

 「ええわ。」妻は、鰯なんか、と思っている。

 「嫌みも臭みもないぜ。酢な、酢がええのやろ。こっちのはワ

 インで作るのや、ワイン・ビネガーちゅうやろ?」 妻は私が

 切った二センチほどのを口に入れて、

 「ほんと。」と、まだ義理の雰囲気を残しながら言った。



  さっきから気になっていることがあった。床の感触だ。



  ワックス塗りたての感触が、通常の程度ではないのだ。ヌル

 ヌルを通り越して歩くのに注意を要するくらいだった。原液を

 のばさず床に塗り付けたままの感じである。



 (日本でなら『乾いた雑巾で拭くもんだ!』と言われそうだ)

 と思いながら、疣(いぼ)の多いスニーカーの底で確かめてい

 た。



  トイレを借りた時も、一歩ごとに足元を確かにしなければな

 らなかった。



 「歩くのが危ないくらいの床や、こんなに塗らんでもええのに

 なあ。」異国は便利だ。こういう不平を小声で言わなくていい。



  レインコートを羽織り、ビデオカメラを肩に掛け、帽子を頭

 に、傘は忘れず、

 「忘れもん、ないか?」と、出発の確認をするとき、厨房の流

 し台の中が見えた。



  泡立ちが激しい洗い桶の中に、いや入道雲のような泡の中に

 皿やフォークが姿を消す。その右側は水をたたえた箱桶だが、

 周辺には小粒の泡が縁取りをなす。そして、再び入道雲の中か

 ら取り出されたグラスが、今しも一度だけ水をくぐってジャア

 と自らの水を箱桶に戻して、上の金網の棚に収まっていった。



  それで完成なのだ。



  だから、さきほどのジョッキは洗剤の匂いをたたえていた。

 いや、匂いだけではない。こうして楽屋裏を知ってしまうと、

 あれはまだ滴を残していた可能性が高いとさえ思った。



  床の油脂性を感じる店が、フランクフルトにもう一軒あった。

 そこでは床への関心が、慢性化したのか薄らいでいるのに気づ

 いたが、コップの匂いの方は、床のことから思いついて、匂い

 を探すようにコップをかいでいた。

                              ☆

☆ ☆ D.B.(Deutche Bahn)の車窓から ☆




☆ 鉄道マニアとまではいかないが、私は鉄道が好きだ。鉄道で

 旅するときのロマンに満ちた気分が、私を夢の世界へ誘う。



  もちろん飛行機も船もそうした気分を醸すのだが、列車は

 「今日的意味」において特に愛好の情を確認している。という

 のは、一九六〇年代の半ばごろから私の周りにも自動車(クルマ)

 を愛好する人が徐々に増えてきて、瞬く間にマイカー所有者が

 勤労者の大半を占めるようになり、三十年余りを経過した今、

 私の住む鈴鹿では、畑への途上、道の両わきの家々を見ると、

 一戸に二三台を所有するまでなっている。



  で、この四十年にもなろうとするクルマ時代の年月を私なり

 にレジュメするとこうなる。



  石油エネルギーの全盛時期である。



  交通・運搬手段が大きく変わり、クルマ社会と言う。



  日本の経済力が世界のトップに立った。



  以上三つに伴って憂うべき事態が以下のように生起した。そ

 してそれを克服する見通しは、無責任にも、ない。



  ア、年間に一万人強の交通事故死者(厳密には二十四時間以

   内死者だけの数)が出る。



  イ、国有鉄道が破産し、石炭産業も破産した。



  ウ、大気汚染をいっそう深化させている。



  ところで私は科学技術が発展・進歩することに反対する人間

 ではない。むしろ大いに結構だと思っている。



  が、発展の裏打ちとして深い配慮が伴わなければならないと

 真剣に考えるものである。



  今日では身近な電気・電流でも、それが発見され実用化され

 てゆくその過程では、様々の危険があったろう。犠牲者もあっ

 た。そして現在でも不幸にして感電事故をはじめとする犠牲が

 付随している。電気利用が開発されていなかったらなかったは

 ずの事故や犠牲である。



  でも、だから電気利用はやめよう、などとは私も考えないし、

 世間にもそういう考えの人をみない。



  私が、つまり電気を「肯定」するのは、それは通常、事故に

 対する予防措置が完成されており、不用心にエネルギーを利用

 しさえすればいいとはなっていないからだ。



  早い話、ほとんどの大人が感電の危険を知っていて、それな

 りの予防措置を講じながら利用している。そしていわずもがな

 だが、利用して便利になっている。



  ところが原子エネルギーはどうだろうか。チェルノブイリの

 事故はメルトダウン、つまり発電所を支える地盤さえ融け落ち

 てしまった。放射能は物質を原子段階で破壊し、あるいは融合

 し、つまり現存の物質が他の物質に変化する。最大なら瞬時に

 変化(液化、気化)し、最小でも徐々に変化(放射性物質化)

 する。そしてここが大事なんだが、電気における感電予防措置

 のような防御手法を見出していないまま利用しているというの

 が今日の原子エネルギーだ。



  私はもちろんこんな利用方法に組みしないばかりか抗議さえ

 したい。いったん事故があれば風上百キロ、風下二百キロに人

 は住めない、とは専門家の言だが、私は今、プルトニュームの

 敦賀原子炉から、直線にして「風下」百キロに住む。伊吹おろ

 しも鈴鹿おろしもこの地の冬の厳しい北風の謂いだが、いずれ

 も敦賀から伊勢湾に向かって吹き抜ける冬の風で、これでプル

 トニュームの放射性元素を吹き付けられたら、畑も田も汚染さ

 れるのは言うに及ばず、息するだけで私は白血病を患い、リン

 パ腺を腫らして命絶えるだろう。



  事故後、直ちに警報連絡がもしあったとして、避難した私に

 は家も畑もない。補償があったとして、仮設の家に惨めな思い

 で生きることになろう。これは最善策が取られたとしての仮定

 である。



  が事故後、直ちに警報連絡がーーーという可能性はまずある

 まいと私は絶望してもいる。既に知るあの事故隠し、さらに嘘

 の上塗り。仮にもし情報が流れても汚染度が正直に知らされは

 しないだろう。今までの例は、例外なく「人体に影響がない程

 度」の事故ばかりであるからだ。



  だがそんなはずは決してない。私は「専門家」にだって断じ

 てあげつらう。「人体に影響のないような希薄なエネルギーな

 ら、どうして火力に優る発電が可能なのか」と。また「鉛の服

 と鉛硝子の眼鏡で全身を覆ったときに初めてそう言いなさい」

 と。



  繰り返し言うが、要するに私は、付随する事故を克服できな

 いまま利用していることを問題にしているのだ。



  さて、原子力はそうだとして、ここで言いたいのはクルマの

 ことなのだが、こちらは原子力とはやや異なる問題性を有する。



  クルマの場合は付随する事故を、そうしようとするならば克

 服できるのに、それを企図もしなければ努力も放棄している。

 日本の年毎の事故死者だって、まるで何かの公式がピタッと当

 てはまるように「定量(一万人強)」になっている。



  この克服方法は私にだって明らかだ。クルマを減らせばいい。

 営業車は全体のクルマの三分の一にも満たないのだからそれ以

 外のいわば「任意」車には規制や負担を加重化すればいいのだ。

 加重化の程度にもよるだろうが、およそ通勤者が公共交通機関

 を利用したくなる程度にすれば、事故死者が現在の十分の一以

 下になること請け合いだ。



  排気ガス規制もさらに厳密化することだ。規制自由化の波は、

 それが経済効果を生み出すからと、無条件に賛美する雰囲気に

 あるのは遺憾で、国産車・輸入車を問わず国内走行車には平等

 に純なる排気しか許さないとなれば、これより生じる経済効果

 だって小さくはない。むしろ未来へ向かって息の長い経済効果

 が約束されるはずだ。



  さらにそこに副産物さえ期待される。大きな一つの例が鉄道

 の活躍する日の再現だろう。運動不足気味の勤労者が足腰の筋

 力を回復し、三食を美味しく食べ、快く肉体を動かすだろう。

 つまり心身の回復だ。



  いや、こうしてその益を数えるのもいいが、要するに命の無

 駄な「紛失」、無自覚的な「大量虐殺」を克服し、身も心も健

 全なあり方を回復する方向へと社会の事態が転進すること、そ

 れが何にもまして大事なことだろう。



  長い話を「枕」にしてしまったが、だから私は「列車の旅」

 を愛好する。マイカーで随所へ、かつ任意に旅する「よさ」を

 いくら吹聴されても、そしてその都合の良さや自由さがどれほ

 ど私に理解されても、それでも私は「そうですか。でも私は鉄

 道で旅します」と言うはずだ、たとえ道連れを失っても。



  軌道と道路を分け隔て、立体交差や踏切遮断機で危険を予防

 する。裸の踏切もまだ残存するが、もうちょっと努力をして貰

 えば、私には文句はない。



  クルマの走行とは、いわばこの「裸の踏切」を毎秒、間を置

 かず走るに等しい。



  クルマ運転者が保険を掛けて「安心」しているのは、一万人

 以上を殺す者(集団)の「共犯」に加わることであり、加害者

 になったときには、「仲間」から援助、加勢して貰うことを保

 証されていることに他ならない。



  繰り返そう。だから私は「現在のクルマ」に組みしない。鉄

 道を感性的にも理性的にも、将来展望の観点からも、愛好する。



  ドイツの鉄道は、実によく努力と工夫がなされているのだっ

 た。本当は、と私は思うのだが、クルマの側からも必死な努力

 があってしかるべきなのだ。



  例えは悪いが、妻を寝取られた夫が、妻はまだ間男を楽しん

 でいるのに、涙ぐましい努力と工夫とを重ねて妻の愛情回復を

 願い続けているに等しい。そして、今、ドイツは「妻」がやは

 り人間味のある「夫」を再認識しはじめ、慈しみが回復しはじ

 めている。



  別項目の「人の知恵って」に触れたが、乗客が必要とする情

 報、つまり利用列車に関する情報が、駅にも車中にも実に巧み

 に備えられている。接続なんかD.B.間ばかりでなく都市交通や

 郊外バスなどとも配慮が及んで情報化されている。



  人もいい。比較するのはどうかと思いながらも、私は凡人だ

 からすぐそうしてしまうが、切符売り場の窓口はほとんどが

 INFORMATIONを兼ねている。ほんの二三の場数(ばかず)しか

 踏んでいないが、職員が英語を、フランス語を話す。繰り返し

 言うが、駅の特別な窓口だけを「INFORMATION」としているの

 ではない。窓口が十あれば九つまでが、五つあればすべてが、

 出札とINFORMATION とを兼ねているのだ。



  わが日本で、たとえばあなたの近くの駅でちょっとみるがい

 い。自動販売機に最近やっと点字がついたが、尋ねるべき駅員

 はどこにいるのか、さっぱりわからない。スバリ言えば、「人

 がいなくても済む」体制づくりに励んでいる感がある。



  ヨーロッパでもここからほんの少し南方の国なんか、

 INFORMATION(綴りは同じだがアンフォルマシオンと発音する)とあるの

 を、窓口全部を一回り眺めて、見つけることもあれば、見つけ

 られなくて、その所在を尋ねてから、駅内の別場所のそれに行

 き着く。「この列車の指定席を」と頼むと、コトバが下手だか

 らだろうが見下げた目線のあと、「そんな列車はない。この都

 市の他の駅からではないか」などとほざく。



  もしそれが事実でも「同じ都市名の駅でもその列車なら北駅

 からですよ。ここから地下鉄でこう行けばその駅です」ぐらい

 の乗客への便宜を計るのが当然だろうに。 また「英語話しま

 すか?」とでも言おうものなら、「いや」と一言、たまに親切

 なのがいても「しばらく待って。あっちの十七番でどうぞ」ぐ

 らいが関の山だが、またそこに各種外国人が列を作っていたり

 する。



  だがドイツでは、ついぞそんな情景に出会わなかった。



  放送がないから不便だって?



  いや、そんなことはない。ドアが開きますの、閉まりますの、

 白線の後ろにおさがりのと、一挙手一投足を支配しようとはし

 ないが、停車駅が近づけば必ず駅名を放送するから、心配はな

 い。ヒアリングの能力には限界があっても、乗換は何番線ホー

 ムかもきちんと放送する。



  車掌の検札もいい。駅に改札がないからこまめに車内巡回す

 るのは当然だろうが、タダ乗り・不正乗車が起こりそうな雰囲

 気でない。そういう丁寧な努力が気持ち好い。



  切符も各種あるようで、たとえば身近に見たので言えば、ト

 サカ頭のスケボー少年が大きな身体で席四人分を独占していた

 ローカル線で、年の頃は三十半ばの車掌が回って来た。「ツァイ

 ゲンミア、ディーファーレンカルテ、ビッテ」と言ったか言わなかったか、何か

 を言い、私はジャーマンレイル・ツインパスを出す。彼は白人

 の美しい瞳で私がその朝記入した日付を確認して、すぐその上

 にパンチで日付スタンプを入れ、「ダンケシェーン」と返す。



  次いで斜め前のスケボー少年に声を掛けた。すると少年は哀

 願する目付きで車掌を見上げ、両の手を左右に開いて言った。

 彼は切符を持っていないのだった。



  こういう場には滅多に出会えないから、私は右耳を精いっぱ

 いに努力して、やりとりをさぐるのだった。ヒアリングの不備

 を想像で補正して再現しよう。



 「切符は、君」

 「持ってません」

 「どうして」

 「乗るときに、時間がなくて」

  「じゃ、今買うんだ。六十ペニッヒだ。」

 「ええ? 四十五じゃないの? 高校生ですよ。」

 「それは駅でキチンと買ったら、の話しだ。」

 「許してくださいよ、小遣い少ないんだ。」

 「ナイン(だめ)。」



  拒否宣言は凛々しかった。高校生割引の恩典を受けたかった

 ら、それなりのことをしなければいけない。無券で車掌から買

 うときは、外国人であろうと子供であろうと規定の代金を払う

 ことに決まっている。



  私の持つパスも、乗車前に乗車日を記入するよう義務づけら

 れている。



  今度からだぞ、とか、もうするなよ、などと、なあなあに終

 わるのはよくない。一面では人情的だろうが、他面では不公平

 や私的・恣意的裁量を許すことになる。



  どこかの国の交通違反なんか、有力者某に頼んでもみ消して、

 取り消して、大目にみて、もらった、などと公言する輩(やか

 ら)さえある。最たるものは特赦・恩赦だが、法治とは法の下

 に万人が公平・平等に扱われるのを旨とするからには、こんな

 バカな「法」はない。法の名の下にエコヒイキするのだから、

 正義の戦いを称して侵略し、善行と偽って人を騙す類だ。



  要するに規則があればそれを尊重して遵守し、然る上で人情

 を示すというのが理性も知性も、感性もある好ましい人格だ。

                             ☆

☆ ☆人間の知恵って ☆




☆ 外国を見て回りながら、その国の人には見慣れているのかも

 知れないが、私には驚くようなことがある。「驚く」とは、

 「人間って偉いなあ」と思うえるようなこ、ピカリと輝く知恵

 を感じることだ。



  かつてシェクスピアの家(Shakespeare's House=英国のStrat-

  ford upon Avonに保存されている)の台所の竈の前でみた赤ちゃ

 ん用の革帯に感心したのは今も鮮明に記憶する。赤ちゃんを拘

 束することなく、火元に近づけない工夫は「コロンブスの卵」

 に生活の苦労と知恵が集積された結果に生じたアイディアだっ

 た。



   今回もそんな発見のいくつかがあるのだが、ドイツ人は私の

 思い込みもあるのか、そういう事例が多いように思える。



  で、どこにそんな知恵の跡を感じるの?と問われれば、まず

 「国鉄」だ。D.B.(デーベー=Deutche Bahn)もご他聞に漏れず経

 営は苦しかろう、自動車社会だもの。だが、わが「国鉄」に比

 較して大いに「はやっている」のだ。幹線はもちろん支線だっ

 て「これほど」乗客があれば運行のし甲斐もあろうと思われる

 のだ。



  そしてその裏に様々な知恵が働いていることに、日を経て徐

 々に気づいていく。



 「徐々に気づいていく」とは、異国びとの私がインフォーメイ

 ションや車掌に尋ねながら列車を利用するのだが、その都度

 「なるほど」と感じ入りながら利用法に通じてゆくさまを想像

 してもらえばいい。



  そして、今までに知った国の鉄道の中でD.B.は乗客の便が計

 られていること抜群だと思っている。まず最初の感じ入ったの

 が、どの駅もその駅中心の行き先別時刻表を備えていることだ。

 日本版に翻訳して紹介しようか。



  桑名駅から神戸駅へ行くとして「桑名ー名古屋ー(新幹線)

 ー神戸」や「桑名ー亀山ー柘植ー草津ー神戸」「桑名ー亀山ー

 木津ー京都ー神戸」「桑名ー亀山ー奈良ー大阪(環状線経由)

 ー神戸」の列車を発着時刻を含めて順にすべて示してある。組

 み合わせがいくら他にあってもかえって便が悪くなるようなも

 のは載せてない。



  だからほど経ずして私達はまず駅の「Reise-Zentrum(旅行

 者センター)」に入るようになった。すると室内のどこかに行

 く先別の時刻表(Stadteverbindungen=直訳「都市結合」)がアル

 ファベット順に置いてある。



  例えば、ニュルンベルグ駅でハイデルベルグに行きたいとき、

 A,B,C,,,Hのところに、ハイデルベルグへ行く列車のすべてを発

 着時刻(乗換・接続)ともに記載したカードが、アパートの郵

 便受けのように差してある。



  これを一枚持って乗れば、列車が定刻に運行されている限り

 少しも迷うことなく目的地に着く。



  ほんの一例を言うのに字数を費やしてしまったが、この他に

 もホームに黄紙と白紙で掲示されてある「当駅発着列車一覧表

 (時刻とホーム)」でも、車内に置かれた「当列車停車駅連絡

 一覧表」でも、乗客の知りたい情報はすでにちゃんと用意され

 ているのだった(※「」内は筆者の試訳)。



  これらは、しかし人間の知恵というよりも、誠意と努力の結

 果と表現した方がいいのかも知れない。



  日本では各界のお偉い方、特に「先生」と呼ばれて当然のお

 顔の方々の外遊が多いが、こういうこともよく見て、真似でき

 るものは真似たらいいのにと思う。でも、「あの人」たちは多

 分、「外遊」時にこういうものを見ようという気はないに違い

 ない。苦心の跡がありふれているD.B.に乗って、気づかないな

 んて私には考えられないからだ。



  だが、次のような例はどうだろうか。



  ローテンブルグといえば、ドイツパック旅行の花飾りみたい

 な観光場所だが、城郭内の観光を終えての帰りに、私たち夫婦

 は団体ではないから城外の田園風景の中の民宿へと向かってい

 た。



  道端の野菜畑などに目を遣りながら歩くとき、耕す人が二人

 いた。



  道と畑を隔てる柵囲いの一か所を押し、中に入って話しかけ

 てみた。



  年長の男は表土を整え、若い方の男は開墾するかのようにス

 コップで深く掘り、草の根の土を振るってはドラム缶に投げ入

 れている。荒れた畑を耕作地に復活させているようだった。

 「グーテンターク!」大きい声で挨拶して近づいたのだが、愛想はよ

 くなかった。ちらと見返された程度である。畦道の両脇の野菜

 は、手入れも育ちもあまりよくはなかった。一か所に苗床があ

 って十センチ足らずのレタスなどがあった。



  返事らしいことばを返さない男達にこれ以上に友好の情を示

 しても空しいかと道路に戻りかけたとき、もう一人、男が柵を

 開けて畑に入ってきた。



  アラブ系の人に見え、挨拶を交わした。「グーテンターク」。

 「(畑を見る?)」彼は私に促した。いや、私が「ことば」を

 理解したのではない。「ゼーエン(見る)」の一語が彼の言葉に

 含まれていたことと、その愛想や身振りからそう判断したのだ。



  そしてその判断は間違っていなかった。



 「あなたの畑か(イーレル、ガルテン)?」

 「ナイン.**キルヒェ**、キルヒェガルテン.」

 (キルヒェだって?)辺りには桜が多い。(桜んぼ畑だって言いた

 いのか)と、筋は通らぬがとっさの会話には単純なひらめきだ

 けで言葉が決まる。



 「キルシェ? キルシェガルテン?」と問いを重ねると、

 「ナイン、キルヒェ、キルヒェガルテン」と言う。

 じゃあ「これ?」と、私は胸に十字を切ってみせる。

 「ヤー、キルヒェ.」とやっと一語が共通語になった。



  教会の畑だった。この辺りすべてが教会の土地で、

 「(教会は私たちに住まいを与える。そして私たちは教会の畑

 を耕す)」

 「(取れる野菜は教会のものか?)」

 「(いや、一部分を教会に出す。残りは自分のものだ。市マルクテ

 にも出す)」

 「(教会のためにそうするのか)」

 「(いや、教会のためにではない。自分のためにするのだ)」



  苦闘に似た会話だったが、私は感じ入っていた。



  地主の教会には、いまや「寺男」にも「作男」にもなり手が

 なかろうから、畑は荒れてしまう。そこで流入外国人が教会と

 共生関係になったのだ。



  外国人は安住の道を見いだし、畑は生気を取り戻している。



   私は、日本にもこれに匹敵する着想があってもいいと思った。



  日本の田畑は随所に荒れ、青草が茂るにまかせている。つま

 り土地の生産力を「無駄」にし、これを「活かす」努力にも着

 想にも乏しいのだ。



  もしこの形を日本に採り入れるとして、自然の保存以外にも

 幾多の発展的形態が、素人の私にも思い浮かぶのだが、「先

  生」方はどうお考えになるだろうか。



  もう一つ別の例をも言わせてもらおう。だが、これはすぐに

 でも世界中に広がるに違いないのだが、「現代」的に秀でた着

 想だと感じ入ったことだ。



  外国で通貨を交換するのに一番いいのは、私はシティーバン

 クだと思っている。旅の前に十万円ほどATM(Automatic Teller

  Machine自動出納係機)から入金する。外国では同じくATMでそ

 の国の通貨を、その時点のレートで引き出す。同時に明細と残

 高がシートに出る。



  ところで私はカード嫌いの人間で、国内でもカードとは縁が

 ないように努力をしている。それが災いしてか外国でATM(ま

  たはCD)を扱うには非常な抵抗感がある。第一に機械相手に金

  を扱うこと、第二に言葉・用語が通常会話のものでないこと

(暗唱番号はピンナンバー、普通預金はセイヴィングアカウントなどと言うこ

 ともカードを使うまで知らなかった)、第三に国によってATM

 の動かし方が異なったりする(およそ三つのスタイルがあって、

 五操作の簡単な機種から八操作のものまであり、さらに小部屋

 に入るときにカードを差したりするのもある)。



  だから、私はまずは人のいる窓口へ行き、「(済みませんが

 (と、Citicard Usage Guideを示しながら)ここのATMはどの機

 種でしょうか。)」と尋ねることにしている。「(助けていた

 だければありがいのですが)」と願ったところ、快く操作して

 くれた銀行もある(Pin Numberのときだけ後ろを向いていた)。



  フランクフルトで CITIBANK に入り、女子係員に、

 「(どのタイプの機種ですか?)」と問うと、

 「(多分、Cのタイプですよ)」と愛想よく教え、ATMに近づ

 く私に「(右側のを使ってください)」と後ろから声を飛ばし

 てくれたりした。



  私は Usage Guide のCタイプに左の指を当てて握り、右手で

  カードを機械に差し込んだ。



  すると画面に七つほどのインフォーメイションがあらわれた。

 英語、仏語、イタリー語、韓国語、中国語、日本語、ドイツ語、

 いずれも「どの言葉を選びますか?」というものだった。



  もちろん私は日本語を選ぶ。そしてその後は言わずもがなの

 現金引き出し風景である。



  私が妻にお使いを頼まれて街の銀行へお金を下ろしに行った

 のと同じ感覚で、いや外国で思いがけず日本の機種に出会った

 喜びの感覚で、悠々と操作したのだった。 旅を終えて、私は

 CITIBANKに電話でフランクフルトの驚きを話し、

 「他のどの国に言語選択、特に日本語表示の機種を備えていま

 すか?」と尋ねた。



  だが残念ながら期待する答は得られなかった。「彼」も知ら

 なかった。(調べてお答えします)という積極的なことばも聞

 けなかった。



  人知のきらめきに感じ入っていた私の印象に、けだし微細な

 傷を残すことになろう。

                             ☆

次章 「へたなことば」 へはここをクリック

.