背景は、ソールズベリーのストーン・ヘンジ
☆ ☆ 感激のミュージカルと品性と ☆
☆一日フリーチケット(OneDayTravel)は9:30以降に使え
るのだが、それまでを有効に費やせないものかと考える。
街の地図を眺めると、「ディッケンズの家(Dickens'
House)」とあって、さほど遠くもない。朝の散歩に行く
ことにした。一月十三日のことだ。
<チャールズ・ディケンズCharles Dickens1812-1870
イギリスの小説家。社会の下積みの生活を哀歓をこめて描
き、幾多の不朽の人物像を生み出す一方、世の不正・矛盾
をユーモアを交えて批判した。代表作「オリバー・トゥイス
ト」「クリスマス・キャロル」「デビッド・カパーフィー
ルド」「二都物語」など>
これは「大辞林(三省堂)」を引用したものだ。
さほど詳しくではないが、少々は知っている。そして日
本で読まれるイギリスの作家でもある。
地図はその部分が良く分かるように折って手に持ち、十
分も歩くと、ここら辺りかと思われる所まで達した。が、
辺りは住宅街で、三階建ての長い建物の間口がそれぞれに
均等に仕切られているばかりで、そんな文化的施設に見え
るところなんか見つからない。それでも縦横の通りの名前
を確認するとこの辺りしかありえないと推論仕切ってしま
うと、窮してうろたえた。
通りを隔てた向こう側も、こちらと全く同じ住宅用ビル
が一本並んでいる。で、ちょうど一人の男が真正面付近へ
近づきつつあったので、彼に尋ねようと、私は歩道から車
道へ降りた。車に気をつけて左右を警戒するその間に、彼
は私たちの気配を察してか、小走りにこちら側へ渡ってき
た。まっすぐ視線を向けて近寄る男は、およそ三十歳ぐら
いの制服制帽姿だった。何かの管理人か、警備係か、警察
ではないが何かを管理・ガードする職業に見えた。
「スキュース・ミー。アイワントゥゴートゥ・ディッケン
ズハウスーーー」
「ソリー・ンドンノオ」と首をゆっくりと横に振る。
「イズントヒアー、ディスポイント?」と地図を見せると、
「イヤー、イヤー」と手を通りに沿って大きく振り、これ
がその通りだと示した。しかし通りは正しくともあるはず
のディッケンズ・ハウスはないのだ。
仕方がないか、(サンキュー)と言いかけたとき、私た
ちの間に割り込んで話しかけてきた人があった。
「あなたはディッケンズ・ハウスに行くのですか?」と七
十に近づいているくらいの老紳士が、静かな話ぶりで言っ
た。
「イェース」
「どうぞ、私についてきてください」
「ありがとう。ご親切に。同じ方向へ行かれるのですか?」
「いや、私はディッケンズ・ハウスへ行って、扉を開ける
のです」
「ああ、あなたはそこでお仕事なのですね?」
「そうです」
ほんのそこだった。老紳士はポケットから鍵束を出して
鎧戸を押し上げた。その脇に、民家と変わらぬ大きさのプ
レートで「Dickens' House」とあった。中に書斎風の図書
の展示があるかに見えた。
老紳士は(さあ、どうぞ)とは言わなかった。鎧戸の中
のガラス戸に曜日毎の開扉時刻と閉扉時刻とが示されてあ
り、どの日も「---day 10:00 ~ --」とあったのをみて、
「十時に入れるのですね」
「はい、もう少し待って下さい」と優しく言った。学者の
風格だった。
「実は、今日は忙しいので、日を改めて来ます」と私は辞
去した。
もう九時半で、行動開始の時間を過ぎているのだった。
今日の予定は、勝手に自分で作ったものであっても、限ら
れた日数で異国の雰囲気を存分に体験するためにはいい加
減にできないものだった。
老紳士の風格と、多分訪れる者が少ないこの施設に物心
両面からの支援を期待しているらしい表情に私のお世辞を
絡ませて、「日を改める」と言ったものの、十時以降を特
に割いて訪れることは、少なくとも今回にはあるまいと思
った。
Russel SQ.まで戻って来ると、そこ始発の7番バスが停
まっていた。
「大英博物館まで行ける?」と車掌に尋ねると、「行ける
けど、あそこなら歩いた方が早いんじゃない? あと八分
で発車だが、一駅だけですよ」と言った。
でも私たちは乗った。
車掌は、インド系に見える中年男で、バスを数メートル
離れてタバコを吸っていた。バスは、あの二階建ての赤い
車体、つまりダブルデッカーだ。一日フリーチケットを思
うさま試してみたい気持ちとダブルデッカーに初めて乗る
期待感とで車掌の忠告を無視したものの、だれも乗らない
バスにただ時間だけ待つために座っているのが、我ながら
間抜けに思えて、
「やっぱり歩こか、時間が無駄やで」と、広いデッキから降
り、車掌に手を振って別れた。
車掌は、博物館への道を示そうとしたが、自分で行ける
からと、好意に謝して公園沿いにロンドン大学の方へ向か
った。
博物館前の毛糸ものの洋服屋には、それでも十時少々前
に着いた。前日、日本人の女店員がいたので、彼女に便宜
を計らって貰おうと思ったのだ。
私たちは、今日、即座に切符を求め、今日観劇したい。
そして今日以外には観劇できない、と昨夜ホテルで決めて
いたのだった。だからそういう日本人らしいせせこましい
ところを理解してくれる人に切符の手配を頼みたかった。
異国の人は、ともすればのんびりと(明日じゃだめか)と
か(いつまで滞在するのか)とか融通のきく人生や日程を
前提に物を考える。こちらの必要を満たすためには、こち
らの人生観を理解させねばならぬ。いやちょっと大げさに
表現したが、友好や交流のためにはそれもいいし、我が望
むところだが、実務となると困るのだ。
店で、だから私は最初、用件を言わずに「日本人の店員
は?」と問うた。
主人は「あの子は、10:30が出勤です」と説明したが、
私は半ばしか信用しなかった。
「ここで待ってもいいですか?」
「ああ構いませんよ」
私たちは所作なく周辺を眺めたり喋ったりする。主人が
「純粋のウールのセーター、どうですか」などと勧めて、
二、三見たりしながら時間を待つうち、十時半になった。
「今日は休むの?」と聞かれたくなさそうな質問をすると、
「分からない」と言っていた。
若い男店員がそばに来て喋るので、「あの子にミュージ
カルの切符を手配して貰おうと思ってる」と言うと、
「私がやりましょう」と、仕事に入った。
木曜日は昼の部もあり、昼のが欲しいのだ(安いところ
でかまわない)と言うと、電話をして「25£の席しかない」
とのこと。もしOKなら30£だと言う。
「なぜ?」
「手数料が5£ずつ要る」
私たちは相談した。なんだか贅沢品に手を出しているよ
うな気さえして「辞めとこうか?」と言い合って要るとき
に、眠気も覚ましやらぬ表情の日本人女子店員が現れた。
「要らない」との返事を聞いている男店員は、私たちが長
時間待ってミュージカルの券を求めていることを告げた。
彼女は、それから店の留守番電話に入っている彼女宛の
伝言を聞いた。もちろん私にも聞こえる。すると、日本語、
中年以後の婦人の声で観劇のチケット手配依頼が、ふんだ
んに入っていた。私たちとは違い、そんな安いところを言
わない。安い所でいいなんて一言も入っていない。タイト
ル名と何枚と日にちを言い、是非に手配して欲しいと何ホ
テルの誰々と名乗っていた。
私達のように安い所でと注文をつけても30£(約5、500\)
なら、この電話注文は倍三倍でも平気なのだろう。
録音を聞き終えて、改めて女の子は私たちに対した。
「是非に見なければならないと言う気はないんだ。手軽な
ところが手に入れば、と聞いてみたら、思ったより手数料
などもあって費用がかかるしね、もう辞めることにしたの」
と言うと、
「劇場へ直接出向いてチケット、買われたら。ないかも知
れないけどあるかも知れないし」
「ありがとう。そうするよ」
ミュージカル「レ・ミゼラブル」は、レスター・スクエ
アーのパレス劇場で演じる。歩いた。劇場のロビー真ん中
に臨設切符売り場風の場所に男が一人入っていた。
「Do you have touday's ticket ? ahm, daytime two ?」
と言うと、
「Yes. Which one you select, ah outside shown ?」と外
の左上を指さした。ある。あるじゃないか。四種類のチケ
ットがあった。
「The cheapest one.」
一番安い席を「Stalls」と呼ぶことをその時知った。今
辞書に当たってみると一回の座席をそう呼び、高く壁面に
ぶら下がるようにしつらえてある席を「Box」と言うのだそ
うだ。私たちのは一回正面ほぼ真ん中の最後部だった。値
段は一枚が8.5£(1、500\弱)になる。
二時半に開幕だが、三十分まえに、ほらそこ、その辺に
来て下さい、と男は言ってチケットを手渡した。
そらみろ、自分ですれば納得できる結果になるもんだ、
そんな気分になっていた。他人頼みで無駄金を費やしてい
ることに疑問を感じない同胞の観光客にこの結果を見せて
やりたい思いさえしていた。
「ご馳走を食うか」と通りへ出ると、劇場にそう遠くもな
いところに「American Steak House」というのがあって、
中は軽々しくはない雰囲気だった。
例によってメニューを熟読してから、Roast Chickenと
Roast Beaf、それにBeerをグラスで取って、窓から通りを
眺めながら昼食を楽しんだ。
西洋の劇場に入ったのは、これが初めてではない。パリ
のオペラ座などの内部を見学したことはある。しかし実際
に出し物が演じられ、その観客として入るのはこれが初体
験だった。
モギリはチケットによって、入場の通路を示す。どうも
高額の席は上方へ案内されているようだった。私たちには、
階段を下に降りるように指示した。降りるとそこは通路の
左右にスナックやパブが数か所こしらえてあった。寄りか
かって時間まで一杯をたしなむ男もいる。私たちは昼を食
べたばかりだからそこは単なる風景としか意識されない。
再び階段を上がると、観客席の一番後ろに出た。
黒人の若い衆が数人、通路に配置されていて、来た客を
すぐ指定の場所に誘う。私たちは、ほとんど舞台正面の最
後部だった。私は(いい場所だ)と思った。
女性職員が、もう日本では見られなくなったが、平たい
箱を袈裟掛けのバンドで肩から支え、ジュースや飴の類な
どを売って歩く。別にかけ声はない。紙パックの飲物の類
がよく売れていた。私の右の席は白人の少女で、何かスナッ
クめいたものを買ったのか、手元でこそこそといじくって
は取りだした物を口に運ぶ。袋か箱か、紙がたてる音がす
る。変なことを言えば、音が気にならなかった。耳障りな
音のはずだが、文句を言いたい感情にならない。所詮人間
は身勝手で、好意、好感を抱く人の行動には寛容で、そう
でなければ憎しみや敵意を持つのか。その時の私は、大き
な音を出すまいと気がねをして物を食う少女だと意識され
て、いじらしくさえ思っている。
「レ・ミゼラブル」は、私の心を引きつけ、奪いながら進
行していった。ジャンバルジャンの苦労や人間性に、とい
うよりは歌声やオーケストラ、つまり音楽に魅せられてい
った。舞台の競りだした直下から床下にかけてオーケスト
ラ・ボックスがあり、指揮者は、平たい下り坂を観客の頭
が形成した先で、時に両手を、時に片手を挙げて楽団とシ
ンガーとにサインをする。個々の会話を為す小曲は、いず
れもどこかで馴染んだ味があって、それを澄んだ声で歌う。
私にはほんとに久しぶりの体験で、雰囲気に「身を委ね
る」ほどの楽しみようだった。膝の上のヴィデオカメラが
知らぬ間にずり落ちそうになったりする。ソロには拍手を、
意識したときには手を高くして送っていたりするのだった。
前半部の終わりには、邪心を起こして、ちょっとだけヴィ
デオに収めようと思った。前の観客の肩の間にファインダー
を向けて、一二分を盗んだ。
インターバルをパック・ジュースで喉を潤した。
後半に入ると私はやや大胆になって、この辺かなどと勝
手に解釈して数回、舞台を写している。そして、フィナー
レの場面になった。これぞ、と私は全舞台を撮る。そのさ
なかに観客が立ち上がった。舞台は出演者のオンパレード
になっているのに、カメラには入らない。私も立った。そ
して心行くまで収めた、と思った。
幕は降り、人は座り、そして場内が明るくなった。
私はヴィデオをやめ、既に膝の上に置いている。しかし
裸のカメラはまだバッグに収まってはいなかった。
(どちらの出口から出るかな)と思いながら首を右後ろに
回したとき、若者係員と眼が合った。
「カメラだ」などと叫ぶ間もなく、若者の係員の一人の黒
人青年が走り寄ってきて、取り上げて行った。
私は夢の中の出来事でも見ているように、ほんわかと事
態を見るうちに、カメラを指摘した若者と取り去った若者
とが合流して、なにかせわしく喋りながら出口の外へ出て
行ってしまった。
(どうするかなあ)と思う。なぜか頭は桁はずれに悠長で
思考が働かない。繰り返し言うがそれは夢をみているのと
そっくりだった。
人は立って、私たちの横を、後ろを流れとなり、出口へ
落ちて行く。その動きを無意味に見つめながら、私は席か
ら動かなかった。
少し醒めてくると、(ここに最後まで残っていれば、何
かが起こるだろうし、起こらなかったら自ら事務室へ出向
いて、謝るしかない)などと、ネジの切れる前の蓄音器程
度のボケさ加減で思い始めていた。
まだほぼ三分の一も観客が出切らずにいただろうか、
「こちらへ来なさい」と座席に留まる私に指示を与え、私
を待たずに再び出口へ去った。私は同じ方へと人の流れよ
りはやや早めに急ぐ。
劇場を仕切る幕のドアを出たすぐのところに、年の頃五
十ほどの支配人とおぼしき男がいた。
手に私のヴィデオを持っていた。私は近づいてうなだれ
た。
「コピーしたね?(You coppies, nnnh ? )」
「いいえ、ほんのフィナーレのとこだけです(No,I didn't
copy. Only finale I took.)」
「とにかくそれはコピーなんだ(Any way it's copy)」
「すみません」
「いいですか? こんなことをすれば、どこの劇場でも君
はカメラを失うことになるよ(in any theater you'll lose
your camera)」
言いながらヴィデオを返してくれた。
私はうなだれたまま受け取り、人の流れに従って外に出た。
恥ずかしいことをしてしまった。
外は既に灯火が華やかな宵の街だった。恥ずかしさから逃
れたく、交差点の対岸に渡ってから、ネオンの「PALACE」と
あるのを見上げた。私が冒した過ちをあの劇場に詫びる思い
で見ながら、再びヴィデオを取り出した。
こんなに簡単に許して貰ったことに、意外さを感じながら、
(ひょっとしてフィルムを抜き取ったとか、X線でハレイショ
ン処理したとかして返したのではないか)と思い、確認がて
らにここを撮影しようと思った。
フィルムは間違いなく入っていたし、先ほどの違法コピー
もそのままだった。私はファインダーを覗きながら、やや力
のないナレーションを添えていた。
「ここは劇場の<PALACE>です。今、ミュージカルの<レ・
ミゼラブル>を見終わって出たところです。とっても感激的
な出し物でした。しかし、残念ながら申し訳ないことをして
しまいました。ヴィデオを撮ってカメラを取り上げられたの
でした。でも寛大にも返してらいました。ーーー」
ここは三叉路の街で、レスター・スクエアーとピカデリー・
サーカスとの中間にある、いわば都心の宵の華やかさを収録
しながら、反省の弁をナレイトしている。帰国後、この画像
を見るとき、この反省を蘇らせたいとも感じてのことだった。
☆ |
☆ ☆ 見物ビタミン欠乏症にはなるまい ☆
☆こんな心の動揺も収まり切らないうちに、しかし予定した
ことだけはしなければならぬと、私たちはテームズの向こう
側のWaterloo駅に来た。Solisburyへ出かける時にはここから
列車に乗らねばならない。その時刻を確かめに来たのだ。
変更になっていた。予定してきた列車はなくなっていた。
暗い駅舎の外の通りを歩こうとして少し迷ったが、確実な
記憶の所へ戻ってから地下鉄でホテル近くへ戻った。以前か
ら一度は入りたいと思っていたマーケットで買い物をし、そ
れをホテルで食べた。満足できる夕食だった。
明けて一月十四日、ロンドンもこれで六日めになる。
予定では最初にOxford Circusの東京銀行を訪れなければな
らない。というのも私たちの旅は明日十五日に帰国になって
いたものを個人的に延長したのだから、明日はホテルを出て
あのGrenville Hotelに引っ越すことになる。前金でホテル代
を払うのだし、また四日間の地方への旅も予定している。だ
からそれらに備えてポンドに換えて置かねばならないのだ。
十万円を換えると、£=172.22円のレートで580£にもなっ
た。使い良さを考えて、全額を10£紙幣で要求したので、新
札でない紙幣は文庫本くらいの厚みになる。私は行内の奥ま
った机の前で、顔を真っ赤にしながらしゃがみ、自分の動作
にも回りの事態にも不満だらけになりながらズボンを降ろし
て腹巻きの袋を開く。中にはトラベラーズチェック、パスポ
ートと円の札が入っている。そこへ今替えた大半の札をしま
い込む。その時、ヘソを出した姿になる。私はもがきたくな
るが、可能な限りの平静を装わねばならぬのだ、と自らに言
い聞かせて、再び腹巻きの上にパンツのゴムを、ズボンを、
そして皮帯を締め直し服装を整えるまでの、歯がゆいほどの
のろまさである。客観的にはおかしい動作でも自分では必死
で真剣な、いわば戦いの行動なのだ。
帽子を被り直し、回転ドアを出て、西部劇の男のように眼
だけで左右に気を配る。公園の端の塀にバイク野郎らしい男
が腰掛けている以外には変な奴はいない、そう結論を出して、
「行こ」と速足でオックスフォード通りに向かう。
グリーンパークは近い。公園の緑が見え始める頃、啓子は
トイレを求めた。(あるわけないやないか)と思いながらも、
どうにかしたいと思ううち、市内観光バスの出発点を通りか
かった。
バスを停めて、黒人運転手が通行人に宣伝パンフを配って
いる。彼は満面を愛想に溢れさせて私に手渡した。
ちょっと立ち止まってそれに眼を通す。彼は私に関心を向
けた。
「トイレ、探しているんだけど、ない?」
「そこ、そこを下がって、こうー」と地下鉄への入り口を示
してくれた。
「危険なことはない?」
「ない。大丈夫」
「ありがとう」
運転手の意図には添わないばかりか、トイレの案内なんか
させてしまった。
公衆便所に入るのは、実のところ恐い。人が居ても恐くて
先客や後客に異常な関心と警戒心とを寄せる。居なければ居
ないで、何か起こったときにどうやって助けを呼ぶだろうか、
などと考える。
しかしここは大きくてきれいだった。
啓子のオバーを私は手に持って、なるだけ婦人用入り口に
近く立つ。
一人の男が、やはり妻かだれか女性を待つらしく、所在な
げに立つ。(会話の練習でもするか)と私は彼に声を掛けた。
「バッキンガムは、ここから近い ?」
「ああ、もう、ほんのすぐ」
「何分ぐらい ?」
「まあ、うん、十分か。ともかく出たらすぐ見えるよ」
外は、グリンパークの名のとおり緑の生敷物を敷き広げて、
そのスロープはなめらかで柔らかい。眼には実に快い。が、
寒いのだ。天気はいいが肌寒い。
公園を斜めにパスを抜けると、バッキンガム宮殿の佳い場
所は、すでにほとんど観光客が占拠してしまっている。
正門付近の広場側、つまり宮殿を背にしてロータリーの行
進を観る姿勢で待つ。
ほぼ一時間、立ったままで待ち、見物した。
冷えた。そして疲れ、おなかが減った。
ここには描写しないが、衛兵の交代式はロンドン観光につ
きものだ。これを省いては心残りだろうし、また省くのはも
ったいない。そういう価値があると私は思う。だが、深い感
動に攻められることはない。言っては悪いが、「あれだけ」
のものだ。
私が「あれだけ」のものを、わざわざ準備してまで観るの
は、しかし「帝国」というものの姿を形あるものとして認識
するのにはなはだ好教材だと思うからだ。力あるものは、力
づくで人を従わせるのではない。人間は聡明で、心や感情を
通して「なびかせる」のだ。分かっているつもりでも、私も
その「軍楽隊の音楽」に感情を動かされ、マーチの華麗さに
心をしびれさせてしまう。
感情動員と権力支配に無防備でいるようでは、現代知識人
としては欠陥人間で、美意識とか芸術観賞眼に、食べ物のヴィ
タミンように必ずこの要素を含め有していなければならない
のだ。
☆ |
☆ ☆ 愛想のよさと値段は逆比例 ☆
☆理屈が過ぎた。午後の予定へと赴くことにする。
ヴィクトリア・アルバート美術館へは、グリーンパークの
左端のパスを直進し、ハイドパーク・コーナーに出、そこか
ら交通機関を利用することにした。
このパスの傍らにリスがすばしこく、しかし人に心を許し
て草の上を走り、木に駆け上がる。冬の昼のひとときをこん
な風景でいやされながらゆっくり歩くのは、異国人がいつも
味わってきたゆとりの一つだろうが、日本人の自分もその味
わいを楽しませてもらっている。
グリーンパークとハイドパークの二つの矩形を対頂角で接
する場所がハイドパークコーナーだ。そこまで来て地下鉄乗
り場を探すのに時間をとったが、OneDayTravelを買い、South
Kensingtonへやって来た。
この近辺にKensingtonの名を持つ駅が四つあり、あのWest
Kensingtonはここから西へ三つめの駅だ。「あの」とは昔こ
の地に学んだ人の話、笑い話で、「ウエスト・ケンシントン」と言っても
通じない、「上杉謙信」と言うとすぐ通じる、と言うものだ。
(ついでに言えば、シェイクハンドではなく「赤飯セキハン」と言って握
手する、と言うのもある)。かつてまことしやかにこの話を
聞いたが、現地では決してそんなことはない。いや、なかっ
た。地下鉄を利用する場合、地上に上がるとおよそ方角もま
た地図上のどこに該当する場所に出ているのかも皆目見当が
つかないが、その辺にいる人に「スキュースミー」と前置き
して「ウエアリズ○○?」と地名の○○を言えば、一度もト
ンチンカンな誤解なんか起こらなかった。「上杉謙信」の
「赤飯」のと発音用の別言葉まで覚えて苦労した先人達には
申し訳ないが、中学生の「Jack and Betty」から曲がりなり
にも英語とつき合ってきた世代では、「今は昔」がたりでし
かないようだ。
South kensington駅の地上で四囲を眺めたが、「進行方向
を少し戻って北上する」と理解はしていても、地表ではその
「進行方向」も「北」も分からない。曇っているから太陽の
在処も知れない。そこで「Excuse me,---」となる。
すぐに分かった。で、この駅付近の界わいで「昼飯を済ま
しとこか」と相成って、食堂探しの眼で見回すと、あった。
テイクアウトだけの昼飯屋や立ち食い風のもある。一軒は小
さい黒板にチョークで、
「Salmon & Chips, Cod & Chips,10£」などとある。
「どうしょうか」と言い合って覗くうち、愛想のいい男が誘
う。つい乗って「決めた」と入る。
座ったテーブルにはmenuを持って来ないで、大皿に魚の切
り身を並べて「どれにしますか」と言う。
三切れの魚は、鮭、鱈、平目だった。
「これにする」とまず啓子が決めた。私より決断が早いのと、
当地はレディを先に尋ねるからでもある。
「This one」と平目を指すと、「Realy (ほんとう)?」と
問い返して「How about this one (これは)?」などと鱈
(タラ)の白い切り身を勧める。
(イギリスまできてわざわざタラなんか食う必要はない)な
どと私は思った。再び平目を注文した私に、(いいの?)と
流し目の冷やかしを送りながらも、注文を受けた。次に飲物
を尋ねたが、私が瓶のビールがいいと言っても、いや、グラ
スの方がいいと言う。(こちらが客なんだよ)と反発を感じ
たが、ここは異国だから角を立てないで「OK」と任せた。
「あ、タルタルソースはいかが ?」
「いいよ」
ウェイターはさがっていった。
日本ならこの間、水が出るかお茶が出ていて、口を潤して
寛ぐのだが、この地では何も出ない。だから後ろの老紳士と、
その身内らしいが関係がよくは想像できないお嬢さんとの会
話を、hearingしていた。芸術について語っている。食事中
でも堅い話をするもんだ。
食事には少しも文句はなかった。暖かいチップスは軽く、
食卓塩を振ってもよしそのままでもおいしかったし、薄塩加
減の平目は蒸し焼き程度に油で揚がっていた。余すとこなく
おいしいので、縁どりの小骨を飲みそうになったりする。
「シャケはどう?」と啓子のオカズにも手を出し、代わりに
平目も「食べてみるか?」と皿を入れ換える。ビールもまあ
まあだった。
異国の料理は、いつもそうだが、三分の一まではおいしい。
その後、おいしいのだが飽きてくる。それは満腹感とも少し
違う。私は満足したが、啓子は最後まで食べなかった。
「甘いものとか、コーヒーかココアなど、どうです?」とま
た誘いに来る。イタリア系はいつもこうだ。決して放ってお
かない。次々に人を引き込もうとする。「コーヒーだけでい
い」と言ったのに、アイスクリームを持ってきて、
「チャージではないけれど、サービスする」などと言う。
私は面白くない。「要らない」と返させた。そのくせその
仕打ちに反省して、ボーイを呼び、
「私たちはもう年を取って多くは食べられないのだ。君の好
意には感謝する」とわざわざ釈明した。
コーヒーを終えた。
ボーイに手で物を書く真似をすると「Finished ?」「Bill ?」
と問うて、レジから勘定書きを持ってきた。
本来ならBillなる物は、明細と合計、それにサービス料な
どが書かれている。が、ここでは金額だけしかなかった。
見ると36£少々(7000円)と書かれてある。(ええかげん
にせえ。昨日までは高いところでもせいぜい20£か21£。通
常16£、17£でもっとご馳走やった。イタリアの商魂のこん
なところがいやになる。一般のイタリア人は大好きだが、こ
とば巧みに金を使わせる術は好きになれない。)
それでもチップを2£も添えた。
ヴィクトリア・アルバート美術館が収蔵するものもまた膨
大で、大ざっぱに見て過ごそうという訳にはいかなかった。
例によってそれらのすばらしさをいちいち記録することは
省くが、結局、夕方まで心を奪われ通しで、歩き疲れてしまっ
た。美術学校が近いから館内のいたるところにデッサンする
学生がいる。
収蔵物を観賞する時、つい彼らの仕事が目に入る。どうし
てか彼らは陳列品を描くのではなく、室内の一部分や柱の裾
の彫刻だったりする。時には室内の雰囲気を抽象的なイメー
ジに再構成していた。
疲れて外へ出たときには、日が暮れようとしていた。OneDay-
Travelで地下鉄に乗ればダイレクトに帰る。しかしそれでは
使い甲斐がない。74のバスでマーブルアーチヘ出て夜景を楽
しんだ後で7のバスで帰れば宿に近くまで来れると計画して、
バスを待ったが来ないのだ。二十分も待って来なかったので
「地下鉄にするか」と駅に向かう時、啓子が、
「ビッグベンかどこかで夜景を見やへん?」と提案した。
ウエストミンスター駅を上がるとすぐがビッグベンで、ラ
イトアップされていた。二階建てのオープン観光バスもその
辺りに止まっている。夜風が客の髪やスカーフをなびかせて
いる。そして彼らも路上の私からは好ましい風物になってい
るのだった。
テームズにはウエストミンスターブリッジが架かる。橋の
中途までは行かなくても対岸のワイドな街明かりや、こちら
の国会議事堂が生の絵はがきを成す。ヴィデオカメラを構え
て、知る限りのナレーションを加えながら写す。
「12番のバスがしょちゅう行くに」と、啓子は行った。
路線図を出して確かめると、それはオックスフォードサー
カスへ行く。ここから7番に乗ればいい。
私たちは二階へ上がって、最前部に座った。広いガラス以
外には前に物はない。高所から我が物顔に街を見ることがで
きる。
「こどもといっしょやなあ」と言い合って笑った。
夕食は宿の近くのマーケットで牛乳やオレンジ、サンドイッ
チなど七品目を買ったが、レジのインド系婦人は、そのうち
三回を打ち間違えている。いずれも高い方に間違えていて、
4ペンスから14ペンスの水増し(7円〜25円)をしていた。
単純なミスには思えなかった。金額は知れているのでいいと
しても、外国人と見てあなどる心が気に入らなかった。
☆ |
☆ ☆[B & B][科学技術の先輩][マンゴーの味]☆
一月十五日。本来なら日本へ戻る日だ。
引っ越しをする。外は生憎の雨だった。
昨夜二つに荷物をまとめたのを、引きずってフロントにキ
ーを出す。
「Check-out, please」と言っても、愛想もなしに「O.K」と
返しただけだった。
雨はやんでいた。
「近道を行こ」と方角に見当をつけて歩く。辺りは住宅街だっ
た。土曜日の九時すぎでは人通りが少ない。古くなって改築
中の一角もあった。道はすべて碁盤の目になっているから、
角毎で(宿は斜め右か、斜め左か)などと軽く意識して進む
うち、大きな坂や木立ふうの場所に行き当たった。地図で確
認するが、目的の場所までにそんな物は書いてない。
「違うぜ。どうも、これ、駅のこの辺みたいな感じやなあ。
それにしても線路を越えたりしたか?」
雨がやんだばかりの空には方角を知る手がかりもない。
「聞いたら?」と啓子は簡単に言うが、人柄の知れない人に
不安な異国で話しかけるには身構えがいるのだ。
犬づれの散歩の中年の男に「キングズクロス駅はどう行けばいい?」
と尋ねた。
「そうねえ。どちらの道を言ったらいいかなあ」と考えてから、
「こちらへ行ってもこちらを行っても同じくらいだけど、こち
らをこう行ったら五分ぐらい」と自分で道の先方を見通しなが
ら丁寧に教えてくれた。
「ありがとう、ご親切に」
「いや、どうも」
果たしてまもなくKing's Cross Stn.に出たのだが、先日見
た駅とは別の駅かと思うほど違うのだ。
「これ、駅は駅でもKing's Cross 駅とは違うんじゃない?」
「やけど、あれ、King's Crossって書いてあるやん?」
二人は正面へと近づいていった。そして、私たちは駅をかな
り通り越していて、今、駅の反対側から戻りながら近づいてい
ることに気づいた。
ロンドンの街は、こんなくらい狭い。ほんのちょっと大まか
な歩きようをすれば行き過ぎてしまう。
Grenville Hotel.二階のツウィンに荷物を置き、鍵を預かっ
た。二つのうち一つは部屋の、もう一つは玄関の鍵だった。前
金、33£ x 8泊分を払ってここの住人になった。
OneDayTravelを買った。土曜日の切符は色が違う。
昨日見残したSouth Kensingtonの楽器博物館(Museum of
Instruments)を目指してバスに乗った。車掌はとても愛想が
よかった。私が「ハイドパークで乗り換えたい」と、乗ってす
ぐ伝えると、どこへ行くつもりかと問うてから、
「乗り換えなくていい。ミュージアムならこのバスから十分も
歩けばいいんだ」と教え、途中、二度も二階まで上がってきて、
「そのまま座っていなさい。心配は要らない。知らせてあげる
から」と言ってくれた。
二つ手前のバスストップで、ステップまで降りてくるように
言って、降りるときには「あの交差点を左に行けばいい」と手
で示した。
楽器博物館は王立音楽院の一部だ。どの建物がそれか分から
ないので子供連れの婦人に尋ねた。
婦人は「さあ、どこでしょうか」と小首を傾げる。と、その
時、少年がいきなり「あっちだ。あそこ、郵便ポスト。あのあ
たり」と言った。小学校一二ぐらいの子が二百メートルほど先
を指さす。
「ありがとうね」
ポストまで来たが、その左右のいずれとも分からない。右側
は広場になっていて、その後ろに円形ドーム状の建物がある。
近づくとRoyal Albert Hallとあった。何もやってはいない。
再びポストまで戻り、今度はすぐ左の階段の上の扉に近づいて
みた。
「ここや、これや」と私は声を大きくして発見を啓子に伝える。
中に入ろうとすると男が出てきた。ここの関係者らしく感じ
たので、
「Museumに入れますか?」と問うと、
「No, closure until February 1.(いや、二月一日まで閉鎖だ)」
と答え、すたすたと階段を降りていった。扉には小さな紙に
closureと書いてあった。でも中からは、弦楽器の音合わせが
「ギギー」、「べー」と漏れてきていた。
この辺りはいろんな設備がある。昨日見た「ヴィクトリア・
アルバート美術館」、この「楽器博物館」、更には「地質学博
物館」「自然史博物館」「科学博物館」、科学技術大学やギル
ド大学もある。だからここまできて手ぶらで帰る手はない。
「科学博物館を見やへんか」。
特に期待した物があった訳ではない。もちろん予定はしてい
なかった。にもかかわらずこれがすごかった。
<蒸気エンジンの本物、大きな鉄の動輪がそのまま保存されて
いる。工業機械の元祖、イギリスの感があった。発電機、機関
車、内燃機関。階上へ上がると製鉄、農機具ーーー。ともかく
科学技術を即物的に見せる場所だ。敬服>(旅日記から)
私が感じ入って飽きずに見回る。啓子は「ここに座っとるわ」
とベンチを見つけて休んでしまった。明治の日本は、これらに
先導されて開発されていったんだと私は繰り返し思い入ってい
た。
昼食は、ここSouth Kensingtonではもう食べない。レスター
スクエアーへ出、中華街のよさそうな所を探して入った。
例によって食い物を丁寧に記録しよう。チャーハン(日本で
食べるものとほとんど同じでボリュームがあった)、菜っぱの
ソテー(みぶ菜に似た中国野菜が切らないでおひたしみたいに
炒めてある)、豆腐炒め(麻婆豆腐には似ても似つかない。厚
揚げ、豚心臓肉、ニンジン、いか、えび玉などが八宝菜ふうに
炒めてあり、良く口に合った)、それにビール、これで17£と
少々。チップを加えて20£(3600円)で二人が大いに満足した
のだから、悪くはない。
リージェントストリートに出ると、土曜日の午後は大変な人
出だった。これはと思う店を物色して、結局、バーバリーで今
流行のカシミヤのマフラーを二本買った。
うろつくうちに露店商の八百屋がひしめく通りに出た。野菜
も果物も安い。欲しい物ばかりだが、二人が食べるだけしか買
えないのだ。
「珍しいもの買おか」と見るうち、橙色(だいだいいろ)の洋
梨大の果物に目が向く。
「これ、なんて言う果物?」私はおじさんに尋ねた。
「マインガウ」
「マインガウ? どう書くの?」
「エム、アイ、エンヌ、ジー、ーーー」
私は懐から紙とボールペンを出し、「M I N G A U」と書いて
見せた。
「No, let me ---」と私の筆記用具を取り、彼は書き直した。
「M A N G O」
「ああ、マンゴーだ。わかった。」
「そう、マインガウです。」とおじさんは澄ましていた。
前にも書いたが、ロンドン弁ではAは「アイ」、Oは「アウ」
なのだ。こんな方言の勉強もする。でもマンゴー2個が1£
(180円)、オレンジの大が5個で同じく1£、これらを買ってビ
ニール袋に入れて提げる。
夕食を欠くのはさすがに心細く、駅の脇の酒屋でバドワイザ
ー1缶を買い、朝のパンの残りや果物を食べて寝た。
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