背景は、ソールズベリーのストーン・ヘンジ 





☆  ☆ 自分の足で歩くには  ☆




 ☆ここロンドンには「One-Day-Travel-Ticket」(2.7ポンド=500\)が

 ある。これで地下鉄もバスも一日中乗り放題だ。ただし九時半以降で

 ある。ちなみに地下鉄一区間は0.9ポンド=90ペンス=150\+xで、あの二階

 建てのダブルデッカーにも乗ってみたいとなれば One-Day-Travel-

  Ticketの方が断然いい。

 

   この九時半までの時間を有効に使おうと考えた。



  旅の後半に予定している地方旅行のために、ブリットレイルパスを

 持っている。購入時にJTBで鉄道地図と時刻表とを添えられたが、

 もしもその時刻が変わっていたりしたら計画がフイになる。その時刻 

  を確かめることにした。



   ホテルの朝食はサービスコーナーがあって、そこからトレイに載せ

  て自室に持ち帰り食べる。前日は二人で行ったが、妻が一人でいいと

 言うので私は部屋で荷物などいじくっていた。



   戻ってきた啓子は、

 「ミルクな、欲しいって言うたら、Noちゅうのやに。Baby? ちゅうて、

 こんなにするのやに」と腕を胸の前で組んで見せた。

 「なんや、それ。昨日はくれたやないか。赤ちゃんやないとやれん

 ちゅうのやな?」「そうみたい。くれたけど」

 「昨日の人?」



  昨日はインド系の男だったし、そんな意地悪ではなかった。



 「違う。白人やった」



  一人か二人かもなぜか確かめたと言う。ルームナンバーで宿泊客の

 ことなぞ分かっているはずだ。今度は私が行こうと決めた。



  しかしスライスパンとバターを、ミルクやジュース、果ては紅茶を

 入れて、わが家でいつもする朝飯とは及びもつかないほどの潤沢な食

 事をする。



 「ああ、よう食べた。ごっつぉさん」と、口を拭って立ち上がり、服

 装を整えてホテルを出た。



  Rassel-Square駅でOne-Day-Travel-Ticketを買うとき、駅員が「九

 時半からだよ」と念を押した。英国国鉄のユーストン駅は歩いて十分

 ぐらいだ。ここからはイギリスの西北の方へ列車が出る。島国のイン

 グランドとスコットランドとが西に向かって座った兎のようにアイル

 ランドをからかっているが、左側を北上する路線は主にこのEustonか

 ら出る。



  駅構内に入ると、私はともすれば物珍しさのためにきょろきょろと

 発車時刻案内板や売店に視線を注ぎそうになる。意識してそれをこら

 え、information の窓口に向かう。窓口には、まだ二十に届かない感

 じの白人少女がいた。私はJTBで貰った時刻表の Liverpool 行き

 の部分を示し、「Is this the correct time to Liverpool ?」と尋ね

 た。



  これだけのことを言うのでも、私には心理的な負担が大きくのしか

 かる。



 「No,**isn't this train.(**は言ったか言わなかったか、あるいは

 どんな言葉だったか、の表記)」と言いながら、彼女はしおりぐらい

 の矩形のカードを取り出して見せた。時刻表だ。「This is the first

  train to Liverpool.」と九時二十分の急行列車にペンでアンダーラ

 インを施した。「**changed ** January 4.」「Thank you.」感じのい

 い応対だった。



  私の事前計画ではここを七時二十分に出発することになっていた。

 日帰り旅行だから出発はなるだけ早い方がいいが、仕方がない。少女

 に免じて許す。



  ここからわずか五分ほどでセント・パンクラス駅とそれにすぐ隣り

 合わせのキングクロク駅がある。そこへ移動する途中で妻が便意を訴

 えた。



  ちょうど郵便局の施設の前で「小包なんとか」とあった。近代建築

 の大きなビルだった。



 「ここで借りる」と言う。私はコミュニケーションの役割を放棄した。

 「よう言わんわ。自分で行ってみ」 



  妻は、猶予がならなかったのだろうか、入って行った。そして長い

 間、出て来なかった。私は内心は気にしながらも、外の景色を眺めて

 待った。ビルは反射の鋭い黒いガラス質のタイルで覆われていたので、

 辺りの街や空の雲を映していた。たたずむ私の前には梯子に乗って植

 え込みのイチジクの枝を選定するおじさんがいた。あまりに遅いので

 ビルの玄関に近づいたとき、妻は出てきた。



 「どうやった? きれいやった?」

 「うん。ともかくトイレ、トイレって言うたら、男の人が誰かと相談

 しとって、こちらって案内してくれた。」



  King's Cross駅のinformationは人が並んでいた。係員の眼にはな

 ぜか善意が感じられなかった。先ほどと同じく「Is this the correct

  time to Edingburgh ?」と尋ねると、間を置かずに「Yes」とぶつけ

 るように言った。もちろん時刻表のカードもくれない。私たちは構内

 へ出て大きな掲示板に向かって今出ている時刻と私の時刻表との比較

 をした。いずれもその通りだったので、私たちは安心できた。



  もう一つ、朝の間の仕事があった。今のホテルに五泊したあとは自

 分で八泊分の宿を探さねばならない。エジンバラへ行く日は早朝六時

 にこの駅を発つので、できればこの付近で宿泊したいと思っていた。



  安くてしかもいい宿、これは旅行好きならずとも好むところだ。ガ

 イドブックにはヴィクトリア駅付近の宿を多く紹介している。しかし

 私は好まない。治安が気になるのだ。だが、数少ない宿の紹介の中に

 ここKing's Cross駅のすぐ近くにいい宿があると、ホテル名と電話、

 所在地つきで出ていて、私はそこを、まずは尋ねてみることにしてい

 た。



  駅前の大通りを越えて枝通りを三十メートルほど入ると、あった。

 「Glenville Hotel」の看板には「Bed & Breakfast」ともサブタイト

  ルされていた。「B & B」と言い習わされている。



  玄関前の石段を上がって、扉脇のブザーを押して応答を待った。黒

 犬がまず偵察に出て、ついでおじさんが現れ、私たちを中に招じた。

 「ガイドブックでこのホテルを知り、来ました。ツィンはありますか。」

 「ええ、どうぞどうぞ。」と狭いフロントへ誘った。

 「実は、今日からではなくて、十五日から八日間お願いしたのです。

 で、部屋を見せてもらえると有り難いのですが」

 「構いませんよ。二階にも三階にもありますが」

 「荷物が大きいので、二階がいいです」と二階のツィンを二間見たが、

 いずれも甲乙つけがたい。ダブルベッド一つとシングルベッド、それ

 に洗面と家具めいたものがしつらえてあった。中二階の突き当たりに

 トイレとバスの、バスルームがある。

 「ダイニングルームは、地下です」と言う。

 「いいですね。でおいくらですか」

 「一泊につき33£です(約5500\)」

 「じゃあ、十五日の午前中に来ますから、お願いしますね」と辞去し

 かかって、あることが気になったので、「リザーブの何かを書かなく

 ていいの?」とおじさんに尋ねると、「なにも要りません。ご心配な

 く(No ploblem)」と言ったが、私の表情に不安を読みとったのか、

 「ここにお名前と住所とを書いて下さい」とノートを出した。



  私はそこに記入しながら、卓上のものが視野に入った中に、「代金

 は前金で(money paid in advance)」と紙に書かれてあるのを見た。



  外は午前の日向だった。これでロンドン滞在の全日程に宿の心配は

 ない。さあ、存分に見て回るか、と背伸びしながら駅の地下から地下

 鉄に乗る。ノーザン線に乗ればロンドン橋へ出る。さほど混雑もしな

 い電車をLondon Bridgeで降り、ロンドン橋を渡ろうと出口の通路標

 識を選ぶ。すると人の流れが多い方向に「London Bridge City」とあ

 ったので、よかろうとそちらへ出たのが間違いだった。国鉄のLondon

  Bridge St.へ出、さらにオフィス街へ降りてしまった。方角が分から

 ないからどう修正すれば橋へ出られるのか見当がつかない。少しうろ

 うろしてから鉄道の高架沿いの通りを歩いて橋の袂にたどり着いた。

 景色を楽しみながら橋を渡るとき、晴れた空の高みを白い筋を曵いて

 飛行機が南に飛ぶのが印象的だった。



 「ええとこや。写そうか」とテームズの川下方向を背景に妻を立たせ

 る。背後はベルファースト号と更にはタワーブリッジの対の尖塔と高

 い橋梁がある。その左の中世風の建物はロンドン塔(Tower of London)

 だ。今日の観光への思いが、私の中で急速に膨らんでゆく。私たちが

 独占しているかのように人通りの少ない天下のロンドン橋を、身を大

 きくして渡っていった。

                                  ☆
 

☆  ☆ 歴史のかなたのうめき声  ☆




 ☆橋の上から見ておいたのだが、河畔に沿って散歩道があった。これ

 に出るには橋が大きいのでかなり回らねばならない。坂を右折し、二

 度目の右折で河畔に出られそうだった。そのとき眼の前に予期しない

 大きな塔が現れた。根元に大きなレリーフで絵とそのいわれらしいも

 のが記されていた。ビデオに撮るまえに読む。いわく、「1666年、当

 時、木造家屋の多いロンドンに三日間、燃え続ける大火事があって、

 13000家屋を失った。それを*****が石造家屋への転換を提唱した。ち

 なんでモニュメントを建てた(この夜、私の日記に記した文章を引用)」

 と。*****は、私の記憶力に及ばなかったので、後ほど調べてから記入

 しようとしたものだが、日本なら*****神社などと名をとどめているこ

 とだろう。



  川の縁を歩く。川面が光ってまぶしい。東に向かって歩いているせ

 いでもあるのだが、ロンドンは北緯51.3°、真昼の太陽が南の空に仰

 角38°にしか上がらない。わが鈴鹿では冬至の昼、55°だが、ここの

 この低さでは朝のまぶしさに思えるのだ。そして名所を含むこの景色

 がいずれも逆光で、写しづらい。



   ロンドン塔の門前の広場に来た時は、十一時半を過ぎていた。

 「先に早昼食べて、それから入ろうか」と言ってみたものの、その辺

 にレストランはない。仮設のスナック売り場からコーヒーとドーナツ

 を買い、半分ずつ食べて青空休憩した。



  雀が人なつこい。私たちの食べる菓子をねだるように、足元やつい

 肩先の柵の上に止まる。知らん顔していると、やがて鳩が近づく。や

 や離れて鵯(ヒヨ)か鵙(モズ)ぐらいの鳥が「ホーイ」「ホーイ」と変

 に気になるアクセントで鳴く。私の中の父性をくすぐるのか保護者意

 識を掻き立てるのか、落ちついて食べてはおれない気がした。



  入場料は5.95ポンド(1000\+X)、いかにも中世の政治犯を幽閉するに

 ふさわしく、入城するには橋を渡る。入るも出るも厳しい管理下にあ

 ったことが容易に実感される。その厳しい橋を渡る手前で、中世の派

 手な衣装のガイドが団体客にユーモアを交え演説風のガイドをする。

 時にどこかの国びとを嘲笑し、時に教師風に客が返答事しないのを大

 声でしかる。数分の後には観光客が声を揃えて笑い、また「Yes !」

 「No !」のコーラスをするようになる。私たちはもぎりで切符を出し、

 いつものように「Can I take video-camera ?」と尋ね、「Yes, no

  preoblem」と許しを得ていた。ちょうどその時、イタリア人とドイツ

 人の混ざった二十人ばかりが、「黙っていちゃわからん」と怒鳴られ

 「YeYees !」と合唱し、自らの合唱を再び笑ったところだった。

  城壁に囲まれた厳しい雰囲気の往時を忍びながら中庭を進むと、右

 下にはテームズから直接に政治犯や囚人を幽閉すべく船を着けたと言

 われる暗い階段があった。今は外を閉じてはいるが、階段を数段下が

 ればそこには水が往時のままに寄せて深まっている。



  城内は、今はミュージアムだ。おびただしい数の中世の武具が集め

 られている。だが瀬戸内の「おおやまつみ神社」に集められている平

 家の敗残武者の甲鎧とは、なぜかその雰囲気が違うのだ。鈍い白光を

 放つ鉄のARMOURには、KNIGHTの凛々しい雰囲気など、私にはみじんも

 感じられなかった。たくましい大男が覆える限りに己が身と命を覆い

 くるみ、わずかの隙間から外をうかがって命の終わりを怯え恐れる。

 また恐れが身の内に溢れるからこそ力任せに得物をふりまわす。鉄を

 かぶった馬に激しい拍車を呉れ、大木を抱くがごとき槍や、長刀を凌

 ぐスワォードでやみくもに空を切って寄る敵を許すまいと必死にあが

 く。しかし後に続く足軽どもには、男の虚勢で「ものども、敵はへな

 ちょこぞ」と勇あるところを示さねばならぬ。優勢ならばそのあがき

 男は鉄の中で叫び、劣勢ならばロボットのスローモーションのような

 ナイトは、逃げる足軽に追いすがらんと地獄のうめきで無駄な動作を

 繰り返す。首を打たれる時だって、ロボットは首だけ形相すさまじい

 生身をあらわにするのだろうか。そういう恨みやうめき、苦しみ、も

 だえ、断末の種々相を漂わせて、幾十、幾百と銀色の甲鎧が並ぶ。着

 た男の名前もいわれもすべて分かっている。すべて腕自慢の鍛冶屋と

 騎士とが腕に足に首に頭に鉄を当てては焼き、冷ましてはまた当てて

 作ったものだ。中身の命はすでにないものの形見の着物以上の霊気が

 篭もる。広い堂内も居並ぶ騎士どもが所狭しとガラスケースに詰まっ

 てだた観察の通路のみを許す。



  どの階もほぼこのとおりであった。ロンドン塔は、外観は単なる中

 世的風景だが、内実は命の恐怖におびえた男のうめきの館でもあった。



  英語をひとつおぼえた。先ほど「足軽」と書いたが、Foot Soldiers

 と言うのだ。そして身動きの不自由な親方、つまり騎士のために身軽

 に「足」の役割を果たすための兵士だ。そして大きく私の関心を引い

 たのは、彼らには勿論のこと馬はなく、着ているArmourは「甲」とも

 「鎧」とも訳せたものではない。綿入れ風の麻の厚手の布で大頭巾と

 コートを作り身を覆う他には槍や刀を防ぐ物は身につけていない。彼

 らには守るほどの命の価値はないのだ。だから騎士の甲鎧がおびただ

 しく残されているのに対してFoot Soldiers's Armourはほんの二着し

 か展示できないのだった、しかも名前も記されずに。いわずもがなだ

 が、戦いがあったとして騎士一人に四五十人から百またはそれ以上の

 足軽がいたはずだと私は想像するのだが、事実はどうだったのだろう

 か。ともあれ命をもてあそばれた人たちに私は同情を向けずにはおれ

 なかった。                           ☆
  

☆  ☆ 文明国には残念な治安 ☆




 ☆この日の日記に私は書いている。「鉄で保護され偉容を顕示して進

 む所有者に対してそれを取りまく者の防具が何と貧弱なことか。麻布

 づくりの帽子や上衣で何が防げたと言うのだろうか。単にその身命で

 もって<主>の楯をしたのだろう。<しこのみたてといでたつわれは>」

 よく歩きよく観た。登った、下った、階段を。その間に、私たちが自

 由勝手に観て回っているのにもかかわらず、何かの拍子によく出合い、

 瞳がちらちらと合う、そんな一家族があって、半ば過ぎからは眼の合

 う度に愛想を交わすようになった。また、三階では高年の係員が、日

 本語の「挨拶言葉」を確かめようと近づいてきたので、「オハヨウ、

 コンニチワ、in the evening, "Good Evening",コンバンワ」と言っ

 てやると、一度は真似たが、「覚えられない」と笑った。



  啓子は陳列室の隅に長椅子を見つけては座ることが多くなり、時刻

 も十二時をはるかに過ぎた。



  古い大砲や弾丸を最後にタワーを出て、タワーヒル駅からエンバン

 クメントまで一駅だけ地下鉄に乗って通りへ上がり、食堂に入る。



  昨日から(今日はサラダを食べる)と決めていて、少女に注文する

 時に、「ともかくもVegitable Saladだ」と言うと、「レタスとかオニ

 オンとかにドレッシングして、ボウルに入れる」と説明したので、そ

 れを頼んだ。



  二人の昼食は、そのサラダにトマトスープ、ソーセージとポテト、

 鱈とポテト、ビールは小二本(メインディッシュにはそれぞれサラダ

 が添えてあった)。いずれも塩味は薄過ぎるが卓上塩で調整すれば口

 に快い。値段はこれで3,000\を少し下回って、しかもこの形式の食堂

 にはチップを払わないようだ。さりながらレストランを凌ぐゴージャ

 スな雰囲気も気に入った。



  午後は、近くにナショナル・ポートレート・ギャラリーとそれに背

 中合わせのナショナル・ギャラリーとを観賞しようとして進むが、道

 を失い、二人連れの巡査さんに尋ねると、私たちをさらに数メートル

 歩かせて「あれだ」と教えた。Portraitの方だった。



  入場は無料で、持ち物のチェックはするが撮影を禁じない。気楽に

 観ればいいと入ったが、所蔵する肖像の質と量は、私に気軽な観賞を

 許さなかった。もしも私が、描かれた個々人のことを自分に関わりあ

 る人として識っていたとしたら、一日をたっぷりかけても観終えるこ

 とはできないだろう。足の疲れが先を急がせ、すぐNational Gallery

 に入った。裏口から入ったことに気がついたのは、展示部屋のナンバ

 ーが24から減じて行くからだった。



  ここには世界の画家と、イギリスの画家の傑作で世界に認められて

 いるものだけとが収蔵される。だがミケランジェロの作品を二つ確認

 したが、イタリアはたやすく傑作を外へ出さないかと見えた。



  作品が時代ごとに巧みに整理されていて、絵の知識に乏しい私をさ

 え、人物でも風景でもかなり強く魅了する。だから知らぬ間に疲れて

 しまう。



  四時を過ぎる頃から、私たちは部屋の真ん中の長椅子に腰を落とし

 たままで壁の絵を楽しむことが多くなった。歩くのは移動する時だけ

 になり、五時近くにはともかく出口の方へと歩く。すぐ外はトラファ

 ルガー広場のはずだった。



  会場を出る前に啓子はトイレを尋ね、降りて行った。私は待ちなが

 らそこの椅子に腰を落とす。



  右手は「EXIT」と大書するガラスの自動ドアだった。人が出る

 度に厳かに開く。見るともなく見るうちに、なぜだか雰囲気が落ちつ

 きを失ったように思えた。すると外へと出る人数が倍以上にも増え、

 足の運びが速くなった。



  私は考えるともなく(なぜかな)と思った。(五時が閉館なのか)

 とも思った。ちょうど私の時計が五時になろうとしていたからだ。そ

 して五時になったが、戸を閉めるでもない。先ほどと同じように急い

 で出て行き、自動ドアは締まりやらずに再び開くなどとせわしげない。

 そして人の足が無声映画時代のように速まってきた。私は脳裏に、重

 大ではないが、審りの思いを持ったまま啓子を待った。



  雨だった。にわか雨で、午前中は快晴だったから、雨具のない人が

 帰り道を急いでいるのだった。



  私たちは幸いに傘を持っていた。



  チャーリング・クロス駅で乗り換えてピカデリー・サーカスへ出る。

 そして今夜はここで夕食を取ることに決めていたので、予定通りに道

 を進む。ただ濡れた傘を携えるのがうっとうしい。



  ピカデリ・サーカスで地下鉄から降り、上へ出るには長いエスカレ

 ーターがある。



  エスカレーターに乗ってすぐ、後ろから押す者がいた。



  ここのマナーでは急ぐ人のために左を空けることになっている。だ

 から私は右側に寄って急ぐはずの人に左の半分を譲った。



  すると後ろから押していたのが少年だと分かったが、彼は私を追い

 抜いたすぐ、私のすぐ前、つまり私と啓子との間に入り込んで逆向き

 に立った。少年の顔は私のそれよりやや低い。すぐ彼は私に話しかけ

 てきた。鼻の下に手をやって「Beautiful」だと繰り返す。



 (何を意図するのか)と一瞬いぶかる。若干の混乱のさなかに、私の

 後ろにも迫るものが感じられ、もう一人の少年が後ろから私に体を押

 しつけているのがわかった。



 (こいつらスリだ)



  私は左へ体を外そうとした。が、なぜか前後から密着されていて身

 動きならない。狭い階段は動いている。「I'm hurrying」と言いなが

 ら体を押しつけてやっと逃れたのがあとわずかで改札の地階だった。



  少年は三人だった。そのときの私の思いは、ここであいつらに取り

 囲まれたら、と言う恐れだった。次いで既に被害に遭ったかも知れな

 いと思った。



  改札に向かって急ぎ足で人混みをかき分けながら腰の回りを点検す

 る。ウエストバッグのチャックが半ばまで引かれていた。私は混乱し

 かかった意識で中の物を確認したが、ある。



  ポケットには、しかし何も入れてはない。肌着の下に手を差し入れ

 て臀部に密着した旅行中の全財産に手を触れて見たが異常はない。



 (未遂だった)と分かると急に怒りが湧いてきた。



  私たちが改札を抜ける時、右端の自動改札のブザーが鳴った。そこ

 には地下鉄の職員がいるのだが、少年達は不正乗車をとがめられるよ

 うにも、また保護されているようにもみえた。



  ピカデリー・サーカスの界わいには、都のセンターにふさわしい夜

 の街の輝きが彩りを競っていた。しかし今夜の豪華晩餐への思いはす

 っかり萎えて、啓子に先ほどからの怒りを表現しようとしていた。



 「早う来うなあかんわさ。何をもたもたしとったん?」と啓子は私を

 ドジにした。



 「動けんようにしやがった。それに、気づくのが遅かったしな。

 ーーーそれにしても、あの臨時職員めいたあのオレンジのベストの男、

 あれ、どうも気に入らん。」

 「どうして?」

  「おかしいでえ、子供ら、出られん切符を持っとったんやろ?。不正

 乗車のブザーが鳴るに決まっとるのになんであの職員のほんはたの改

 札へ行ったの?。あれ、グルやぜ。」

 「またユーサンは、そんなに人を疑いの眼で見とったら、みんなドロ

 ボウに見えてしまうわ。」

  「そやけどおかしいと思わんか? 不正乗車でわざわざ職員が監視す

 るそばへ行ってブザーが鳴るのやぜ。しかもすぐ職員が子供を取り囲

 んでしまう。一見、不正をとがめてとるように見えるさ。ーーーそや

 けど、盗品を手渡したり被害者の追求を妨害したりするには賢い方法

 と違うか?。」



  私の連想は、あの後またブザーの鳴る切符を持たされて人混みへ出

 かけて行った子供たちのことに及んで行った。



  ネオンのシルエットになって街を歩く異国の若人に、私は異常な被

 害者意識で練られた警戒心を注ぎながら、駅の現場を遠ざかろうとし

 ていた。                            ☆
    

☆  ☆ ロンドンの「中華料理」 ☆




 ☆道行く若者が、ともすればすきを探して私を襲うかに見える。随所

 にある飲食店は、だからか覗いてみてもどこかに難点が感じられてし

 まうのだった。暗すぎる、混みすぎだから待ち時間が長いだろう、メ

 ニューが分からない、などと入るべき所を決められないのだ。



  中華料理があった。窓からチョーク書きのメニューが出ている。実

 はこれはランチのメニューで、昨夜私はこれにひっかかって「あのメ

 ニューのものが欲しい」と言ったら、「いやあれは昼だけです」と言

 った。この店もカモを引っかけようと同じ手法で計りごとをたくらん

 でいる。



 (今日は網にかからない。)



  女店員がメニューを三冊も持ってきた。一番上のメニューはフルコ

 ースものばかりだった。時差と怒りで悶えている私の胃袋にそんなも

 のが収まるわけがない。下手な注文をすると、餃子のつもりがシュウ

 マイになったりするかも知れない、とページを丁寧に繰って、まずチャ

 ーハンを探す。が、ない。



 「Fried Rice with Egg」を見つけた。これだ。次ぎに「Spring Roll」。



  この二品を注文して、紙に「麻婆豆腐」と書き「Is this O.K.?」

 と、相手が中国語の理解が可能だろうと尋ねると、紙を持っていった

 ん奥へ行き、再び答を持ってきた。「O.K.」



  賞味した結果を報告する。



  Fried Rice with Eggは、期待したチャーハンにほとんど近い。いや、

 チャーハンだった。ただ楜椒が欠けていた。Spring Rollは春巻きその

 もので、なんら言うところはない。麻婆豆腐は、いかにもロンドン風

 のヴァリエーションであった。豆腐が臭いのは「腐」の字があるとお

 りで仕方がないとしても火の通りが少ない。ほとんど生だった。ミン

 チの牛肉は豆腐とほぼ同量で、どうかすると肉料理の感じがする。そ

 して「麻」に当たる唐辛子がないから赤みがない。色だけではなく、

 辛みが少しもない。(締まりがないなあ)とか(飽きるかも知れない)

 などと思いながら食べる。



  昨年、上海で中国人が「日本の中華料理は本物ではない」と言った

 のを思い出した。日本の中華料理は日本料理の一種なのだから、これ

 もロンドン料理の一つなのだ。



  ビールを二グラス取って食事を楽しもうとした。けれど食欲は快復

 してはくれなかった。チャーハンは半分を、麻婆豆腐は肉のすべてを、

 それぞれ残して、お勘定をすることになったが、しめて十ポンド八十、

 チップを加えて十二ポンドを払うことにした。二千円少々だ。



  夜通し、隣室がうるさかった。部屋の外で閉め出されたらしい女性

 をみかけたから、なにかのもめ事があったのだろうか。



  明けて十二日、衛兵の交代式を観る予定だったが、窓の外は雨が降

 っていた。大英博物館を再び見学することにして、ゆっくりと外出す

 る。



  それでも開門まで十分以上も早かったので、正門前の毛糸ものなど

 の多い服屋に入った。



  そして「Fair Isle Sweater」に初めて出合った。



  テレビで得た知識だが、イギリスの北方にシェトランド諸島がある。

 冷たい海風の過酷な中に痩せた牧草地の斜面で羊がその生を守る。そ

 の毛を、脱脂せずに手で糸に紡ぎ、女たちは器用な手さばきで手編み

 のセーターを編み上げるのだ。太いベルト状の道具を腹に巻き付け、

 数本の編み棒で「蓆(むしろ)打ち」を思わせる作業をしていた。し

 かしその模様の不思議さは、時にはインカ、アステカに通じるセンス

 があったりする。仕様書や方法論が名文化されてはいないで、ただ母

 から娘へと伝承されていくという。



  脱脂されない羊毛は、匂うが寒気を敢然に遮断して暖かいと説明し

 た。それ以来、私はこの編み織りの名を忘れまいとし、機会あらば自

 分のものにしたいと思ってきた。



  いい出合いになるはずだった。



 「これ、脂肪が抜いてないのでしょう?」と店員に聞いた。

 「いや、これは抜いてあります。手で触ってこらんなさい、これ。羊

 の毛は手に脂肪が着くのです。」



  そうだ。私もそれを知っている。

 「これは、すると本物のフェアアイルではないの?」

  「本物ですよ。」

 「いやあ、本物はね、北の小さな島でできる。脂肪は抜かないから暖

 かい。そう聞いている。」

 「本物ですよ。脂肪が着いていると匂うので人がいやがるのです。」

 「それでもフェアアイル?。」

 「フェアアイルとは、デザインの名なのです。」

 (だめだ)と私は思った。日本も英国も現代人はどこかで真実を失い

 つつあると思った。色も型もそれは人間にとって大事なものには違い

 ない。だがもっと大事な本質があって、その上で論ぜられる副次的な

 価値なのだ。



  何魚を食うのか、何肉を食うのか、何野菜を食べるのかは余り問題

 にしないで彩りや風味や盛りつけを問題にするのと似ている。そんな

 ことは都会人の、文明人の品性でもみやびでもないのだ。無知に気づ

 かず、格好だけつけているのだ。 そういうものが「本流」となって

 いることに失望を感じてしまった。



  店員はデザインの良さを説明し、羊毛の品質をほめたが、私は欲し

 いと思わなかった。

 「フェアーアイルはどこで作られているの?」と私は聞いた。

 「済みません、分かりません」と聞くに及んで、わが日本でも、モカ

 のキリマンジャロのとほざきなさるコーヒー通で、イエメンやタンザ

 ニアの所在はおろか関心の片鱗すらもお持ちになっておられない方も

 あることに思いを連ね、現代の寂しさを賞味したのだった。



  セーターから離れた私に、若い店員が「ミュージカルなどはいかが」

 と水を向けてくる。

 「どんなものがあるの?」

 「たくさんありますよ」と新聞紙大の「THEATRE」というガイド紙を

 くれた。ここでチケットを斡旋するという。

 「よく受けているのは、Miss Saigon とCatsとLes Miserables」

  そして説明を始めた。

 「ありがとう。今日は時間がない。考えておくね」と辞去した。



  啓子はこういう出し物が好きで、せっかく本場に来たんだから何か

 見ようと言っていたのだった。



  博物館は前回見残した所をざっと一渡り見るつもりで入ったが、入

 ればそうはならない。どれを見ても新知識にならないものはない。美

 術工芸品の数々に翻弄されるうちに、またもや足が疲れ、椅子にすが

 る惨状になり果ててしまった。



  昼は少々リッチにするかと、朝の間に見つけておいた店があった。

 日本語のメニューが外に出ていたところだ。



  グリーンを基調に店内装飾をしている。差し出されたメニューは英

 語と日本語との併記だった。ビールとワインをひとまず注文して、雨

 で冷えた体を温めるべくスープを言ったところ、それには三角のバタ

 ーパンが二切れ、添えてあった。



  メインにはローストビーフと大じゃがいもの蒸したもの、鱈の白身

 のフライとポテトチップフライを出して貰う。私たちは互いに互いの

 料理に箸を交えあっておいしく楽しく、しかもリッチな気分で食べた。



  ロンドンではローストビーフだとガイドブックにはあった。私たち

 はさほどそれを期待していた訳ではなかったが、食べてみてビフテキ

 よりおいしいというのがその時の感想だった。またじゃがいもがおい

 しかった。それはまるでカボチャのように大きい。とれたての新じゃ

 がのようにフカっとしている。その蒸したての熱いのが、下皮一枚を

 残して桃太郎の桃のように二つに切られ、中にバターがとろおっと塗

 り込んであった。それをスプーンでえぐり取って口へ運ぶ。



  偉大な満足感の後に支払いをするわけだが、しめて4,000円ぐらい

 だから、値段の点からも好感を増幅する。



  午後も再び博物館に戻って、オリエンタルのコーナーに入った。



  啓子は歩き疲れるのを恐れてか、「ここで座って写生しとるわ」と、

 中国の極彩色の仏像の前の椅子に座った。



 「ん。ほんならこのコーナー、好きなだけ見てくる。けど、一時間ぐ

 らいで済ますわな」と、まず中国の仏像から見始めた。片側だけ見て

 先へ進むから、帰りにはもう一度反対側の中国仏像を見ることになる

 だろう。



  インドの仏像になった。いや仏像もあるのだが、正確には神像と言

 うべきだ。ヒンドゥー教の神像が、私の心を捕らえてしまったのだ。

 私の知識の中に、この宗教に関するものがほどんどないことを、改め

 て認識しながら、像の形作る動作と表情を、すべて読みとりたくなっ

 ていた。



  たくましい男神をシバと称するようだ。女神は、そのとき名称を覚

 えていたがもう忘れた。たくましい男が屹立し、手を掲げる。すると

 大木に攀じると同じ動作で男の腰に攀じて己の身を確実に固定する女

 の、その表情には厳しい焦点が見上げる男の瞳に達していとおしさの

 極みを緩めない。男も、両脚を堂々と踏ん張って仁王の追随を許さぬ

 屹立を保ちながら、瞳は女の魂にいとおしさを鋭く射込んでいる。



  人前に抱擁を演じて恥じないどころか、真剣な愛を天下に示して真

 実を俗人に啓示している。いかなる力量に依っても冒されたり揺るい

 だりしない絶対の「愛」の行為、感情、魂、存在を示し切っているの

 だった。



  がっちりとからまる腰と高々と上がって後ろへ回ってからむ女の脚

 を見るうち、私は身を低くしてこの二神一体像の下方から見上げてみ

 た。



  やっぱりそうだった。そこには正確にたくましい男性の性器が反り

 とがって、身霊ごと受け入れる女性器へ心行くまで突入していた。女

 神の腰の角度もこの上なく歓迎的かつ積極的であった。



  見る私の心を捕らえる。いや、体を捕らえ生の根元の奥底へと引き

 込んで行く。 そういう感覚を「賞味」した後で、再び正面から見つ

 め直すと、あの見つめ合う二つの神の瞳に篭もる魂の情は、得がたく

 崇高なものに思えてくるのだった。 インドのコーナーには、この種

 の像が、小は十センチ程度のものから大は五十センチ程のものまで、

 三十像くらいあった。すべてを丁寧に「賞味」して、生と性、生と男

 女、生きることの根元的な意味などと、私の哲学の片鱗を少しく磨い

 たりしながら、観賞者の閑散としたこのコーナーの真摯な利用者にな

 っていた。 回って戻ってくると、再び中国の工芸品の展示になる。

 すると性の陶酔から醒めたかのように別の意識が戻ってきて、景徳鎮

 の焼き物に産出場所の写真が添えられ解説されているのを見て、昨夏

 我が眼で楽しんだ場所の感覚を呼び戻して、妻を呼びに言った。



 「来てみ。景徳鎮の行ったところやに、はよ」

 「どおれ?」

 と二人は前に立ち、(ここ行ったやないか)とか(これは、ほれ、あ

 の斜めの煙突のあった窯やさ)などと、懐かしいアルバムを楽しむ如

 くしばし喋りあった。 アジアと一口で言っても、私の知識の度合い

 は中国に深く、西域やインドには浅い。こんなところでも日本文化の

 地層はどこの土から形成されているのかを再認識したりするのだった。



  雨の中を歩いて帰るとき、ふと足元をみると靴の底がはがれていた。

 大事に履いていたのに、縫い目の糸が痛んでしまっていたらしい。少

 し遠回りをしながら「靴屋」「靴屋」と意識して歩くうち、Rassel SQ.

 近くなって通りへ競り出す棚に安売りする店があった。中に入って椅

 子に腰を降ろして足に合わせてみると実に快い。買った。ジョギング

 シューズ風の靴だ。八ポンド(約1,500\)だった。



   数軒先に八百屋があって、牛乳、オレンジにサンドイッチを買い、

 ホテルで食べることにした。オレンジは、驚くほど安い、うまい。ホ

 テルで寛いで食べるのもまたまた乙な気分であった。        ☆
  

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