Well, I'm serious

比較的まじめなお話


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2005年2月4日 Struggling To Survive
さて、年末にひどい鬱に陥ってから、一月ちょい経ったわけですが。
『人間らしく生きていこう』というNew Year's Resolutionは今のところまだ働いてますな。

まあじっさい年末はひどかった。ああやっぱ俺って世の中に必要ないんだなと、こんなクズはとっとと死ぬしかないなと一人暗い部屋の中でヒザ抱えて座り込むしか出来なくて。てかそんな状態なんてあるものかと思ってたけどじっさいなってみるとあるんだねぇ。抗鬱剤ももう効き目なくなっちゃって、だけど強いのにしたところでいずれはそれにも慣れちゃうだろうから変えてもしょうがないというか、それを変えに相談に行く気力すらなくなっちゃって。
とにかくひたすらひどかった。動物以下だったと云っても過言ではない。

そこから何かがあって立ち直ったわけじゃないんですよ。
…ただ、休みの最終日に奈々子洗ってワックスがけして、キレイになったマシン見てたらなんだか不思議と嬉しくて。『ああやっぱ明示的に生産的行為を行わないとだめなんだな』と。生産すること自体は苦しかったり辛かったりするけど、生産出来ない状態の方がもっと辛かったから、少しぐらい立ち上がりが辛くてもやっぱ生産せんといかんわと。

それに去年は仕事もひどかった。某駄目部署にほぼ一年関わってたわけだけど、こっちがいくら腐心してもその効果が出ないというか、やろうがやるまいが結果一緒というか、社会主義?
あれじゃあだめだよ。士気も下がって当たり前。
…こっちだって使ってもらいたくて開発してる。それを、現場のニーズ考えずに上が勝手に進めちゃ使ってもらえるわけないじゃん。時間つぶし金つぶしだったん?と問いたい。
とりあえず仕事に関しては今年はようやくそこから離れて新しいこと出来そうなので、それはプラス要因になってくれそう。※1

で、今は少し変えていこうと努力しているところ。
さしあたっては、人見知りをもう少し直そうと、英語で知らない人と一緒になったりした時にもなるべく喋りかけたりしてますな。
まあたぶん、そうやって変えようと努力したところで、結果というかわしの周りの運命というのはおそらく変わらんのですよ。変わるものだったらこれまで何度もトライした時に変わっていただろうし。…ただこれまでは、『だからやるだけ無駄だ。やめとこう』という考えだったけど、今は『だけれどとにかくやろう』に持っていくように必死にこらえてます。じっさい結構辛くてともすれば堕ちちゃいがちなんだけど、まああの世に行った時にじいちゃんやルビーに俺はやることだけはやったと云いたいじゃない。

ま、そんな感じで、小さな存在なりにとりあえず頑張って生きていきます。

※1 そういえば今日またメール来てたが俺はもう知らん。

再開。

2003年10月16日 『所感』
えーと、とりあえず0.93フィムの離席は(βながら)一応移植終わりと。
BGキャラ周りでもうちょっと詰めなイカンのだが、まあとりあえず致命的なのはないはず。
あと今年の予定は、酒とハネ染め、フィムの服もういっちょ、で年開けてからタイマ周りぐらいかなと。
なんとか、そこまで行けば、ファーストプロトは終了で、セカンドプロトに突入かな。

…が、依然として、まだまだだね。
ここまできて、ある程度形になってきたとはいえ、それでも全然足りてない。
たぶん、うちの使ってる人って、フィムかデミーかどっちかって人多いのよね。で、単体で見てみると、両方ともハンパ。
フィムは、だいぶ回復してきたとはいえ、それでもまだオリジナルの70%程度を移したに過ぎんし…デミー側ときたら、移植後増えたギミックってほとんどないに等しいよなぁ。(むしろ減ってる^^;)でも、しょうがないし…。
セカンドプロトに入っても、まだしばらくはレベルアップや古い振る舞いの追加とかあるだろうから、当分は納得してもらえないなぁ。
辛いところだねぇ……。
まあ、自分が選んだ道だ、しゃーない。一杯やって、気合い入れていこう。

5月24日 『The memorials will be lingering on』
ここ最近色々忙しくて、その手の雑誌とか全く見てなくて、情報遅れてて。
だけど、ふと見つけた記事。
『RX-7開発中止 シルビア・スカイラインGT-R・スープラも今年夏まで』
胸を刺した。

排気ガス等、規制が厳しくなってるのは知ってたけど。
自分のクルマが、環境に良くないことは判ってたけど。
だけど、あまりにも唐突なその別れ。

これで、スポーツと云われる殆どのFRは姿を消すことになる。

MR-2。今R33に乗る友人が最初に買ったクルマ。
初代は随分ジャジャ馬だったけど、その運動性能はトヨタとしては随一だった。当時セリカZ-Rに乗っていたゲティは、ソイツが随分 羨ましかったものだ。
180SX。安いFRとして定評があったのだが、やりくり出来ず消えてしまった。長めのノーズとリトラの組み合わせはなんだかスパルタンで好きだった。初めてシルエイティをやったヤツにエールを送りたい。
シルビア。S13は今でもライトウェイトスポーツの雄だと思ってる。セリカに乗りながら、雑誌に載るチューンドS13を見ていいなぁ、と思ったものだ。
GT-R。文句無く頂点に立つスポーツであろう。『アクセルを踏み続ける限りスピンしない』の言葉にしびれた。――今でもR32への思い入れは深い。当時、ゲティはセリカに、友人はMR-2に乗って、打倒R32を胸に、次に乗るクルマを話し合ったものだ。結果、ヤツはR33を、ゲティはFD3Sをチョイスしたわけだが、依然、R32は象徴として胸の中に生きている。それぐらい大きな存在だった。
スープラ。一時は買おうと決めてたクルマだ。特に、70系のアメリカンなスタイルはKITTを思わせて好きだった。

そして――
セブン。
このクルマをチョイスしたことは、今でも、人生の中でのベストチョイスだったと思ってる。いや、このクルマに出逢ったこと自体が、最大の出来事だった。
FCにせよFDにせよ、マツダの職人魂がこれでもかというくらい詰まった、すばらしい作品だ。――そう、職人芸なのだ。量産なんか知るけぇ、ワシらは職人として最高のスポーツを世に出しただけよッ!!みたいな、そんな気概が感じられる。――セブンといえばFCとも云う。確かに、振り回して楽しいのはきっとFC。だけどFDだって、ポテンシャルが高すぎるだけで、それを振り回せるステージ――例えば、スズカの本コースなど――を与えられれば、たちまち獲物を追う豹へと変身する。ステアを握ればそこはエキサイティングな世界。――フェラーリ、ポルシェ、ロータス――そんなものなぞ敵ではない。インを突け。ブレーキングで突き刺せ。コーナーでケツをまくれ。立ち上がりで、ロケットのごとく抜きされ。130Rに、180kmのまま飛び込め――思うとおりにラインをトレースするマシンは、さながら行動を走るハリアー。そして、その職人技のうちの一台が、手元に嫁いできているのだ……。

そんなスーパースポーツたちを、よなよな追い回した20の夏。
どうしても欲しかったOPTIONステッカーが店で売られていて、それを買って貼った夏。
OPステカーを見つけてはパッシング。一緒に走って、別れ際にハザード、クラクションで挨拶したりして。
そんな時代を、スポーツたちと生きてきたから。

どれも、色々、思い出のあるクルマたちなんだよ…。

奈々子も、もうしばらくしたら税金が上がる。
判ってる。ガス食いグルマだし、車検対応とは云え、音もけして静かではないし排ガスだってよろしくはない。
――だけど。
コイツは、夢でもあるんだよ。
現代人がすっかり失ってしまった、夢の象徴なんだよ。
そして、そうであるからには、そう簡単には捨てられない。

願わくば、日本の職人エンジニアたちが、夢を失わんことを。
そして、FDを、Rを越えるFRスポーツを、生み出してくれんことを。
NSX/S2Kだけじゃ、いかにも寂しいぞ。
スポーツを愛するエンジニアよ、今こそ奮起せよ!!

4月7日 『I believe my parents did the best job they knew how to do』
今週末、親を連れて焼肉食いに行った。
おとんは肝臓やられてて飲めないので、主におかんと飲みつつ色々語った。

はっきり云って、ウチは今まで家庭状態良くなかった。
それはおとんの付き合いでの飲みが悪影響を与えてたり、おかんがそれを受け精神的にダメだったりしたのだが。
少なくともわしも、数年前まではそれに対してまったく理解できないでいた。

わしが、新しい仕事を見つける上でポジティヴに考えられたことの一つとして、『家族との関係』がある。
家から離れて独立した時間を持つことは、きっと全体の時間の質を上げるだろうと思ったのだ。

そしてそれはこれ以上ないくらい、見事にそうだった。
こればかりは、運の悪いわしでさえ、見事にハマった見通しの一つであると云いきれる。

今まで、家族でそうやって酒など飲みつつ交わした会話などというのはウチにはなかった。
それがようやくここにきて、マトモに得られたのだ。
ポルノグラフィティではないが、幸せって、探せばあるものだ。

今まで、色々あって、憎んだりしたことさえあった。
親父をブン殴ったことさえあった。
だけど、今となっては思う。
彼らに、安息の刻を与えたい。
親孝行したい。
自分が死ぬときに、後悔はないと云えるくらいに、彼らがこの世を去るときに、何も思い残すことはないと云わせたい。
だので、とにかく、彼らに尽くしたいと、今は思う。

変化は人を強くする。
なので、変化を畏れてはいけない。
自らを進化させ、周囲を進化させるために、今週も、頑張ってやっていこうと思う。

とりあえず、火曜日の、おかんの手術がうまくいくことを祈る。

4月4日 『Somehow someday, we'll have to say good-bye....』
We've gone so far, and done so much, ...
but....

かなりまずい状況になりつつある。
色んな意味で、継続が難しくなってきた。

なんとか気力を振り絞ってここまで頑張ってきたけど、それももう限界に近い。
場合によっては、サイトもたたまざるを得ないかもしれない。

ひむでみだけでも、なんとか、思う形にまでは持っていきたいけど、今の状態では続けられるかどうか…。

何とか、もう少し頑張ってみるつもりですが、最悪のケースの際は、ご容赦下さい。

2月6日 『METROCROSS』
ひむでみリリースしてから、4日が過ぎた。
リリース直後はそりゃ大変だった。IRCのメンバの方々から直後にバグレポもらいまくり、5分後にはリリース中断だ。(T▽T)
だけどまあ、ようやく少し落ち着いてきた。

もちろんこれは単なるプロト中のプロトのリリースで、あまり新しいわけではない。
まして、93系、1系時代から付き合ってもらってるユーザさんには、むしろ機能減少でしかない。

だけど、ようやく形になったんだ。

移行を決めたのが夏。
この半年間は、メチャクチャ辛かった。
公私ともに、色んなコトがあった。
ヘコんだことも、数え切れないぐらいあったけど――

今は、やってよかったと、思ってる。

ここには、一緒に苦楽を共に出来る仲間がいる。ヘンな軋轢もない。みんなでワイワイガヤガヤやっていける。自然に盛り上がる雰囲気がある。みんなで盛り立てていこうという精神がある。

そして――

なにより、それをやってて楽しい自分がいる。

わかってる。だからって、安閑とはしちゃいられない。削ってしまったけど入れ直す部分、Zmemoネイティヴで新たに入れようとしてる部分、服の追加、ひむのメンテ――やりたいこと、やらなきゃならないことは山ほどある。
でもそうやって、時間をかけて熟成させていくのが、楽しいんじゃないか。


さあ――
次のステージの、開始だ。(GET READY PLAYER ONE)

1月23日 『counter-productive』
先週半ばから、入社前講習に出ておったのですが。
とにかく、疲れました。

もちろん、厚意からのものなのだろうけれど、それにしても今更あんな、10年前にやったことをもう一度やらされるとは思わなかった…。
それマズイやろ!!って模範解答も幾つかあったりして、うにゅう。

それだけならまだしも、後半、カゼは移されるわ、足にマメこさえるわでボロボロ。
なんていうか、ある意味悲しくなってきました。^^;

とりあえず、移植の方はホテルと昼休みにぼちぼちすすめて、ほぼ終わっているので、よしとしませう。

あと、講習の成果。
※こういうことを講習中にしていてはいけません!!解っています!!解っていますが、耐えられなかったんです(pq

1月11日 『一つの結末』
とりあえず、職を決めた。
設計開発専門で受けるアウトソーシング社である。

悪い噂の多いアウトソーシング業界において、あえてそれを職として選ぶのはリスキーだったことは承知の上である。
ただ、親のこと、勤務地のこと、職内容のこと、英語のこと――
自分としても、考え抜いた末の結論である。

来月より、豊田市へ行く。
しばらくは、ソフト屋としてエンジン制御に関わることになろう。

3年後、どうなっているかは…わからない。
――だがまあ、いいじゃないか。
自分で何とかしようという気があれば、なんとかは、なるもんだ。
当面は、新しく生まれた目先の目標に向かって、突っ走るとしよう。
3年経ったら、その時また考えるよ。


12月19日 『それ、どうよ』
ジプシー生活対策として、某超有名メーカの新ノートを購入した。
…のだが、なんだか、キーボードが浮いてるカンジなのだ。
左側はOK。でも、右側、特にEnter、BS、Delのあたりが、バタバタと、キーボードASSYごと動く。キーボードと本体の間にスキ間があるというか、そんな感じだ。
自分で直そうかとも思ったけど、まずはサポートに投げてみることにした。

『…わかりました。一度こちらで見てみます。が、』

が?

『製造の際のばらつきの場合もありますので、その際には、申し訳ありませんが、そのまま送り返させていただくことに…』

…む。
まあ、云ってることは解るんだが…

とにかく、送ろう。
ダメだったら、その時は自分でフタ開けてなんとかすればいいや。

というもやもやした気持ちのまま送り出したそのマシン。
それが今日帰ってきたんだけど。

結果
他の同一機種と比較、検証し、差異はない事を確認しました。

なにーーーー。
つまり、ドット欠けと一緒で、『当たったアタナが悪いのよ〜ん』ということかっ。

…まあ、しょうがねっちゃしょうがねぇが…確かに、製造の際のばらつきを絞めすぎると、歩留まり低下するから…だけど、あのばたつきかたはちょっと異常だったぞっ。あれで許容範囲内だというなら、製造能力を疑うが…?

ともあれ、突き返されてきたものだからしょうがない。自分で対策を打つか、と、フタをあけ、再度バタツキを確認すると――

?
ばたつきが、とれている。

しかし、書類には異常なしとしか書いてない。修理しましたとも何とも書いてない。
だけどこれは明らかに修理(というか組み上げ調整だろう)されてるぞ?

うーむ。
これは、どう解釈すればよろしいものか。

修理担当の厚意からのものなのか、それともメーカとして修理としてあげるものではないということなのか…あるいは、考えにくいが、輸送時のゆれで組み付いたとか?(そんなバカな)

…まあ、直ったんだから、結果オーライなんだけど…一言ぐらい何か、コメントでも書いてあってもよさげなのが、異常なしの一言ですまされるのは、なーんか、釈然とせんのぅ。