辻出紀子さんの情報を求めて
行方不明から七年五カ月



 一志郡一志町(現津市)の雑誌記者・辻出紀子さん(当時24)が、行方不明になって七年五カ月が過ぎた。情報提供の呼びかけもむなしく、いまだ何の手がかりもない。“事件の風化を防ごう”と同僚や友人が写真展などを開き、捜査の進展に協力するため異例の巡回展をする銀行も出てきた。


 「辻出紀子写真展実行委員会」はこれまで、紀子さんが大学時代に旅した東南アジア・難民キャンプなどで撮影した写真を発表。ゲリラ兵士や若者のありのままの表情をとらえた作品は、大きな反響を呼んだ。


 長い間の苦悩―両親にその心境を聞くため、父・泰晴さん(58)が経営する市内の会社事務所を訪れた。「(娘を巻き込んだ)犯人が今も普通に生活していることがやりきれない」と母・美千代さん(57)は話す。


 不明当時は頭が真っ白になった。涙の出ない日はない。「少しずつ元気にさせてもらっている」が、紀子さんのことを考える時は、あのころと一緒だという。


 娘が姿を消したことに加え、さらに家族を苦しめたものも。外出先では顔を見て指をさされた。知り合いと顔を合わせたくなくて、買い物は遠方のスーパー。


 このまま立ち直れなくなってはいけないと、「皆仕事だけは続けよう」と決めた泰晴さん。しかし、心無いうわさが聞こえた。「娘が行方不明なのに、仕事ばっかりして…」。


 なぜこんな事件が起こるのか?その立場になった者しかわからない気持ちがある。今でも寝付けない夜があるという。寝ることを考えると怖い。考え過ぎると首を絞められているような感覚に襲われて苦しい。美千代さんは取材中、何度も首に両手を当てた。


 百五銀行(本店・同市)では、さらに幅広く地域に呼びかけるため協力。昨年八月から十四支店を巡回する“長期ロビー展”は同行でも珍しい。


 紀子さんが撮影した写真数点と取材を手がけた冊子、捜索チラシなどが並び、来店客からは「早く見つかるといいね」と声が寄せられている。


 現地の状況を日本で伝え、難民が平和に暮らせる日が来るまで彼らとかかわっていきたいーと願った紀子さん。


 美千代さんは最後にこう締めくくった。「難民にならざるを得なかった子の姿に、平和のありがたさを感じてほしい。それが私たち家族のせめてもの慰めです」と。


 同委員会事務局・中村元美さんは「七年もの時間が経ってしまい、焦りを感じる。これからも“探している”という声を発し続けていきます」と話す。


 展示予定は次の通り。28日まで上前津支店▽5月8―31日家城支店▽6月5―30日嬉野支店▽7月5―31日津西支店▽8月7―31日佐那具支店(福家 明子)


H18.5.1 第276号

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