モトショップ・ヨシハル TEAM YOSHIHARU 代表
 鈴木 義春氏(62)
 四日市市寺方町


生涯≠ゥけた二輪レースへの情熱



 「エンジン音と、常にいい状態を追求するチューニングに、おもしろさがある」と、二輪の魅力を話す。


 昨年脳こうそくで倒れ、右半身と言葉が不自由になったが、レースへの情熱は人一倍。先月、鈴鹿サーキットであった鈴鹿8時間耐久ロードレース第二十九回大会は、チームを率いて二十回目の出場。総合七位、クラス別二位。順位は下がったが「中身の濃いレースだった」という。


 小学生のころ、おじがオートバイを所有。当時としては珍しかった。後ろへ乗せてもらい、湯の山街道を走った。路面が砂利のため振動で腹痛を起こしたが、興味を持ったという。


 昭和三十六年に本田技研鈴鹿製作所へ入社。スーパーカブの組み立てなどに携わり、翌年、社内の「鈴鹿レーシング」に入部。同四十年にはレーサーとして24時間耐久ロードレースで優勝した。


 同五十一年からは、ホンダの耐久レース・メカニックとしてヨーロッパを転戦し、ル・マン24時間耐久レースで優勝。その後、鈴鹿レーシングで監督を務めるなど、レース界で輝かしい成績を残した。


 しかし、同製作所で二輪の製造を行わなくなり、「二輪が好き。これを機会にオートバイショップを開きたい」と退職。「二十五年間勤めたのだから、好きなことさせてあげたい」と、妻の朝子さん(五六)も協力。同六十二年に「モトショップ・ヨシハル」を開店した。


 レースを通じて親交があったタレント・清水國明さんのサイン会などを催したこともあったが、日曜日も店を開けるため「子どもたちには寂しい思いをさせた」とも。


 同時に立ち上げたレーシングチーム「チームヨシハル」には、入会希望者が全国から集まり、初めての8耐では百十台中二十四位。スプリントレースのほか、一リッターのガソリンで走行距離を競う「エコラン・カーレース」や太陽エネルギーを利用した「ソーラーカーレース」などにも参加した。


 だが、昨年六月二日、突然病魔≠ェ襲った。右に重心が傾き、ろれつが回らなくなり入院。鈴鹿8耐を前にしてのことだったが、「何とか乗り切ろう」と周囲も協力。車いすでの外出許可をもらって会場入りし、チームを激励。メンバーもこれに応え、二年連続の総合六位の入賞を果たした。


 そこから今年の大会に向け、リハビリを続けた結果、杖を使って歩けるように。


 今春退院して店へ戻ったが、支えてもらった人たちへの感謝。レースが自分にとっての生きがい≠ニ、改めて感じる一方、「若いライダーが少なくなり、年齢層が上がっている。若い人を育成していきたい」とも話していた。


 妻と二女(二九)、母(九一)の四人暮らし。長女(三〇)は嫁いでいる。


 (内田 敬子)


H18.8.9 第282号


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