鈴鹿市三宅町
伊勢萬歳師
村田清光氏(70)
中川 晃氏(67)

人々に“福”を招き50余年


 笑う門には福来たる―。現役で活躍する日本最後の伊勢萬歳師。新年早々、伊勢市内宮前のおかげ横丁で恒例の“初笑い萬歳”を披露した。共に舞台に立って五十年以上という村田太夫と中川才蔵の演奏や軽快でおめでたい“しゃべくり”。行き交う人々に“福”を招き入れた。


 正月に家々を訪れては、繁栄や豊作を祈って納めた萬歳。平安時代の文献に記されているほど歴史が古い。やがて尾張地方から鈴鹿市三宅町に伝わったのが「伊勢萬歳」。鼓、三味線、胡弓の三楽器を使うのが特徴で、三曲萬歳ともいわれている。


 村田さんは父の姿を見てこの道へ。十歳から萬歳師だった父等光さん(故人)に三味線を習い、父の友人で胡弓の師匠だった三谷三右衛門さん(故人)に弟子入り。学校が休みのとき、父が率いる「笑顔一行劇団」の一員として県内はじめ滋賀、京都、奈良、和歌山を巡業した。


 近所で生まれ育った中川さんは、子どものころから三味線や踊りが好きで、小学六年から等光さん親子に手ほどきを。「当時は習っている子どもなんていなかったけど、独特の節や言葉に引かれてね」と話す。


 農家の副業として隆盛し、近畿一円にその名を知られた。農閑期の一月から六月ごろ(昔の田植えは六月末)まで“旅歩き”の毎日。昼間は家先で門付け萬歳を演じ、村の民家へ泊めてもらう。村を渡るほかの芸人らと一座を組むこともあったという。


 二人は自動車部品製造会社経営、旧国鉄職員を経て会社員と、それぞれ仕事を持ちながら、十年前まで湯の山温泉郷での舞台を二十七年間続けてきた。近年は記念式典や伝統芸能公演のほか、病院や祭りの依頼が増えて県内外で活動。


 「良しあしはお客さんが決めるものだが、何回やってもこれで満足というのはない」と中川さん。演奏はもちろん古典萬歳や民謡、音頭、現在の漫才までこなす芸の深さ。日々の精進と、長年体に染み付いた二人の“間”が人々を魅了している。


 村田さんが代表を務める村田社中は、保存と継承に力を尽くしたとして、平成九年に県平成文化賞を受賞した。「出会った人との縁を大切にしてここまできた。後継者はいないが、片方がだめになるまでやる。百三十歳ぐらいまでやろか!」と豪快に笑った。


 十三日は同市中富田町中谷のさくら病院で、十七日は津市久居老人福祉センターで公演を予定している。


 一方で、村田さんは事務局兼自宅でスタジオを持ち、県民謡の保存やCD製作も手がける。中川さんは津市一身田中野に在住。


(福家 明子)


H18.1.11 第272号


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