宣長と鈴

本居宣長記念館に眠る古鈴たち


★松阪と鈴
松阪は鈴に縁の深い土地である。国学者本居宣長は鈴を愛して住居を鈴屋と号した。また鈴屋学、鈴屋門は学界では有名である。これ以外に、まだ町も無かった遠い上代の頃から、駅路鈴止(馬に付いている鈴の音を止めた所)の地で有った。つまり松阪は伊勢神宮、斎宮等の神宮と京都を結ぶアクセスロード上にあり、神領の外堺即ち神の世界へのブレークポイントであった。一方当時の交通手段は「馬」を乗り継いだが、官史が諸国に向かう時は朝廷から駅鈴と伝符を賜り、途上鈴を鳴らして官吏で有ることを示し、駅家(うまや)では鈴と伝符を示し次の馬を徴用した。だが松阪は神の遠堺とされ、駅鈴の音を止め、身を清め、静々と神の領域に侵入した。また同行者(案内人等)に侵入は許されず、神宮より迎えに来た者と交代した。ちなみに現在の駅部田町(まえのへたちょう)は駅の部田(うまやのへた)が変じたもので、よいほモール商店街の歩道にも馬問屋跡の標識が有る。

★三十六鈴の柱掛鈴
この鈴は、鈴屋衣と同じく宣長のオリジナル製作品で、6個の小鈴を6ヶ所に赤い紐で結び、柱などに掛け、紐の端を振って鳴らす仕組み。宣長はこの鈴を書斎(鈴屋)の柱に掛け、勉学の合間にこれを振って、ストレスの解消やリラクゼーションを行った。
「鈴屋集五」に次のように書き残されている。

 鈴の屋とは、三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれて、はしらなどにかけおきて、物むつかしきをりをり引ならして、それが音をきけば、ここちもすがすがしくおもほゆ

またこの鈴の歌は、
   とこのへにわがかけていにしへしぬぶ鈴がねのさやさや   宣 長

尚、記念館に保存されている柱掛鈴は長男春庭の作ったレプリカで、オリジナルは残念ながら現存しない。

★駅  鈴
駅鈴はその形が、松阪駅前の噴水、市内の菓子屋で作られる「鈴最中」、周年事業の記念品、等にコピーされていて、現在松阪で最もポピュラーかつ代表的な鈴で有る。
さて、春庭の書付によれば「唐金の大なる形は、隠岐国造の家に古くつたはりたる形を鋳させて、松平周防守殿よりおくられたるなり」とある。
つまり、この鈴の原型は隠岐国造のコレクションの1つで、古書には「古代の珍しいものとして珍重されていた」とある。その後、江戸時代に模造されたものを、浜田の藩主松平殿が宣長にプレゼントしたわけである。

★八面型古鈴
青銅の色が美しい小型〜中型鈴であるが、本居全集には伝来不明とされている。梯形をなした大小の斜面で囲まれているので、八角では無く八面と表現されている。やはり駅鈴の一種であろう。

★八角型鉄鈴
春庭の説明書によると、この鈴は江戸中期に宣長自身が京都で古い型を使って模造したもので、素材もわざと鋳造し難く良い音も出し難い「鉄」を用い、更に鈴屋衣と同じ模様(紗綾形)まで刻み、最後に紫の緒を附けたこだわりの1品であり、宣長の美的センスが伺える。またこの鈴は、一時山室山神社の霊代として奉安された事があり、その時に麻の緒に変更され現在に至っており、展示品には麻の緒が附いている。これらの点が、門人、知友より贈られた他の青銅製の古鈴との違いである。

★十字鈴(或は三鈷鈴)
本居全集および直筆の由来書によれば、この鈴は門人(生徒)蓬@尚賢のプレゼントで、内宮の境内で五鈴川のほとり(神路山)から発掘された青銅製の古鈴である。古墳時代に馬に付けた鈴杏葉(すずぎょうよう)と言われているが、確かな証拠はない。

★養老銘古鈴
この鈴は表面に「養老年製」の四文字が横に陽刻された小形の青銅製製品である。従来の俗称はその形状から、巾着型古鈴で呼ばれた。養老年製の字体から、江戸時代のレプリカの可能性も有り、実際に養老(奈良時代)に作られた物かどうかは判らない。

★茄子型古鈴
この鈴は、宣長遺愛の七種鈴中、一番大きいもので、青銅製である。表面肩部に横帯紋様がある。本居全集には、宣長五代の末裔本居清造氏が「この鈴は宣長の長女飛弾の嫁せし三重県四日市高尾九兵衛の家に伝えしもの」と記しているので、この鈴の出所は北伊勢(四日市近辺)であろう。また後年北伊勢では同種の鈴が出土している。

★鬼面鈴
普通に考えられる鈴の形とは全く異り、鬼面の形をした青銅製の奇怪な鈴である。
俗称は「人面の古鈴」或は「人面鈴」であるが、根拠が無いとし、鬼面鈴と記している。
また俗説では、宣長上京の時、妙法院宮(光格天皇皇兄)より賜ったもので、漢時代の古鈴であると言われているが、証明する文献はない。
本居全集にもこの鈴については伝来明かならずと述べてあり、出土地は全く不明であるが、古鈴の希品である事に違いは無い。

                                文責 岡久司