医師が患者の代わりに葛藤していた問題を、今度は患者自身が引き受けることになる。自己決定には不安や葛藤がついてまわる。患者自身がそれを乗り越えなければならないのである!
これに対し、医師には無制限にカルテの開示を望まない理由がある。第一に、臨床医学はその再現性に関してほかの自然科学と異なり、はるかに不確実なものである。同じ病気や同じ病態の患者に同じ治療を行っても、必ずしも同じ結果にはならない。カルテには、理屈に合わない内容を書かねばならぬことも多い。
第二に、医師の多くはカルテを備忘録と考えている。
患者との強い信頼関係を得るためには、カルテのすべてを開示しなければならない。患者は開示されたカルテによって、がんの告知も含めて診療情報のすべてを知ることになる。患者にとって望ましくない情報も多い。その結果、医師が患者の代わりに葛藤していた問題を、今度は患者自身が引き受けることになる。自己決定には不安や葛藤がついてまわる。患者自身がそれを乗り越えなければならないのである。
知る権利に基づいた診療は、患者にも医師にも、あらゆる面で自立した質の高い医療行為を意味することになる。
人間は己の問題は自ら決めたいと思う半面、逆境においては不安と落胆のどん底におかれる。そんな状況下では、医師にすべてを頼ろうとする心も生まれてくる。医師には、そうした患者の根底にある感情を理解して拾い上げ、「自己決定医療」と「おまかせ医療」の双方を絶えず視野においた診療が、求められている。
(日産厚生会玉川病院 胸部外科部長 栗原正利 Masatosi =投稿)
「医師が患者の代わりに葛藤していた問題を、今度は患者自身が引き受けることになる。自己決定には不安や葛藤がついてまわる。患者自身がそれを乗り越えなければならないのである」の部分がこの投稿の肝ですね。
悪く言えば、「医師の責任放棄」とも言われております。今まで医師には多くの苦悩がありました。がんの告知、効かないかもしれない副作用の強い抗がん剤を使うかどうか、手術するかどうかなどなど。
これらの苦悩をインフォームド・チョイスと称して患者さんに情報を提供し、患者さんに決定してもらうことは医師の責任放棄ではないかという考え方があるのです。
従って、完全に下駄を預けるのではなくて、「Rという治療方法には、Aという長所と、Bという欠点があります。Gという治療方法には、Cという長所と、Dという欠点があります。どちらを選ぶかは貴方自身が決定することですが、私なら(私の家族には)Gという治療方法を選択します」というように医師自身がある程度道筋を示すことが必要であります。