私は認知症の人たちと朝早くから夜まで、一緒に暮らしていたといえるほど長時間、ケア現場に立ち続けていた時期がある。そうす不思議なことに稀ならず遭遇した。

 

仏を観じて

 九十歳を過ぎた男性が、八十八歳の奥様を在宅で介護なさっていた。彼は、失禁の世話をしていて、妻に仏を観じ、思わず手を合わしてしまうのだ、と何の衒い(てらい)もなく言われる。

 ある日、やはり疲れ果てておられたのだろう。畳に横になってついウトウトとしてしまわれた。しばらくして目覚めると、ひどくズレてはいたのだが、自分の身体に毛布が掛けられていた。「あれっ、この毛布はわしが家内に掛けてやった毛布じゃあないか」と気づき、奥様を見やると、ソファに丸まって寝ておられたという。この話をしながら、彼は涙ぐんでいた。

 

ある夫婦

 こんな夫婦がおられた。二人とも認知症があって、家では生活できなくなつていた。ご主人のほうが認知症は浅い。しかし、ご自宅に伺うと足の踏み場もないほど散らかっており、奥様は褥創一歩手前といえるほど局所周辺がただれていた。小火を出したり、脱水で病院に運ばれたこともあるらしい。

 二人は子どもに恵まれず、かつて養子をとったのだが、ご主人はかなりわがままな人だったらしく、養子は愛想をつかして家を出てしまい、今では連絡も途絶えていて、二人暮らしである。それまでにご主人に特養への入所の話があったのだが、「二人一緒でないと絶対に入らん」と拒否し、そのような「無理」を聞いてくれる施設はなかったので、在宅生活を選択されていたのだ。この歳になって離ればなれに暮らすなんて寂しすぎると考えた私たちは、かなり無理をして、二床室のベッドを空けて入所していただいた。

 お預かりしてみると、奥様の認知症はかなり深く、言葉もほとんどない。常時の失禁があり、致し方なくおむつをあてたが、おむつ替えの時には大声が出て、それを聞くとご主人は、「家内に何をする!」と怒鳴り込んでこられる。その都度説明して納得していただくしかなかった。彼は知り合って以来、彼女に惚れ抜いておられたょうで、いつも何かと世話をやかれる。ところが、彼女のほうはいくらか迷惑げな顔をし、「だれだ、このおっさんは?」という雰囲気であった。

 彼はその後、脳出血が再発し、肺炎も併発して、隣接する病院で亡くなられた。そのことを彼女に告げることに、スタッフの多くはあまり賛成ではなかった。言葉をなくし、夫の識別もできなくなっているとみんな考えていた。それに彼が傍にいても笑顔一つ出さなかった人だから、言うだけ無駄と感じていたようであった。

 正直、私も迷ったが、それでもと思い直し、夫が亡くなった病院に連れていき、夫の枕元で、こう告げた。「ご主人、ずっとがんばってこられたのだけれど、今、だめになられました」。死んだとも亡くなったとも言わなかったのだ。しばらく夫の死顔を眺めておられた彼女の眉間の皺が徐々に深くなり、「え−っ」と絞り出すように叫んだ。傍にいた私たちは、一瞬立ちつくした。

 

癌を生きる

 最後に私事を書くことをお許しいただきたい。私は四年あまり前に肺癌末期、余命一年と告知された。今も奇跡的に生き延びているのだが、そろそろターミナルである。しかし、告知された時も今も、自分でも不思議なほど平静である。なぜかはわからないが、認知症の人たちとずっとつきあってきて、人が生まれ、育ち、社会の中で生き、年老いて、病を得、生命の限りを迎えることが、ごく自然なことと思えるようになったのだろう。認知症の人たち、彼らとともに生きてきた人たちに感謝している。

 

私の感想

 認知症に関する治療・予防情報ではありませんが、思わず涙が出てくるような最後の文面にどうしてもこの文章を皆さんにもご紹介したくなりアップ致しました。

 ただ筆者の個人情報に絡む文面がありますので、タイトルも出典も著者名も記載することは慎みたいと思います。

 失禁しておそらくほとんど動けないのに、介護者の夫を思いやる妻の姿! 言葉をなくし、夫の識別もできなくなっていると思われたのに、悲しみを絞り出した妻の姿! 本当に奇跡みたいなことが起こりうるんだと改めて知ることになりました。「何も分かっていない」と勝手に医療者側で判断することは慎まなければ・・と改めて感じました。

 そして何より筆者の最後の言葉、『人が生まれ、育ち、社会の中で生き、年老いて、病を得、生命の限りを迎えることが、ごく自然なことと思えるようになった』に、力強くそして悲しくそして寂しい・・うまく表現しがたいものを感じます。