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 「――俺か?俺のようなのは、やめておいた方が良いな。」
 自分の言葉に、真っ赤になってうつむいたエムルであったが、アルフェルムの方は気付いてか否か、それをあっさりと笑い飛ばした。
 「俺は、風来坊だからな…家庭を守る女性とは、根本的に合わんよ。」
 「え…でも、フィムさん…とは、一緒に暮らして…みえるんですよね……?」
 エムルはためらいながらそう訊いた。
 「ああ、だがアイツは、家庭を守る女性という柄ではないからな。」
 「――でも……その、将来…的には、その――け、――結婚とか……される、んですよね……?」
 「法的な意味でのそれは、無理だろうな。」
 エムルが随分躊躇しながら尋ねたそれに、アルフェルムはさらりと答えた。エムルはその言葉に驚いたようであった――が、次の説明を聞いて、納得することになる。
 「――アイツは、国の帳簿に登録されていない。当然だ――人間ではないからな。むろん、主種族(ドミナント)でもない。わずかに生き残るとされる飛翼族の、ヒトの暴挙により集落を失った者の一人だ――ゆえに、市民としては、登録はされていない。――まして、俺も、わざわざ申告して、国の、ひまをもてあまし刺激を求める貴族どもの目にアイツをさらす気もない――従い、フィムは、国にとっては、存在せぬのと同じなのだ。だから――な。」
 「――そういうことですか……。」
 「…でも……だけど、そういうことなら……いつかは……?」
 「――まあ、な。」
 アルフェルムは、今度は肯定的な返事をした。再び、エムルはドキッとしたようだった。
 「いずれはな……この先、どうなるかはわからんが――時が来れば、そういうことにもなるだろうな。――その際は……身内だけで式らしいことをして、暮らしていくことになるのだろうな。――まあ…子供が出来たときに、色々、辛いこともあるかもしれんが――ハーフが社会において受け入れられんのは、常だからな――だがまあ、きっと適応するだろう。そう…信じている。」
 「そう…ですか。――そうですよね……あは、あたしったら……何を期待してたんだろ……!!」
 エムルはうつむいて、やや寂しそうに笑った。
 「――なに?」
 「!!いっ……いいえ、なんでも……なんでもないですっ……
 エムルの言葉がもごもごと小さく消えていったので、アルフェルムは訊き返したのだが、エムルは慌ててかぶりを振り取り繕った。
 「?そうか?ならいいが。」
 「すっ…すみませんっ……
 「――雨が――上がったな。」
 と――
 いつのまにか、雨音が消えていたのに気付いたアルフェルムが、窓の方を振り向き、外の様子を確認しながら云った。――雨は、彼の言葉どおりすでにあがっており、まだポタリ、ポタリと軒からしたたりおちる滴は見られたものの、それでも先ほどまであれだけ激しく天から打ちつけてきていた雨粒はうそのようになくなり、代わりに雲の隙間から地上を照らす太陽が窓に残る雨粒をきらきらと輝かせ始めていた。
 「では――俺は、そろそろ――失礼するとしよう。」
 「あっ……も、もう……行っちゃうんですか……?」
 椅子を引いて立ち上がったアルフェルムに、エムルは慌てて引き留めるような素振りを見せた。
 「もう少し――情報を、集めたいのでな。」
 「あ――」
 エムルは、改めて気付いたというように、腰を浮かせたままうつむいた。
 「――心配、するな。」
 アルフェルムは、そんな彼女を安心させようと、椅子を戻し、彼女のそばに歩み寄って、肩を叩きながら云った。
 「弟のことは任せておけ……なに、心配することはない。今はまだ、情報を集めている段階だから、動きも、鈍く見えるかもしれんが――だが、こちらにも策はある。必ず、見つかる――いや、見つけてみせる。だから、心配するな。」
 「――はい。」
 アルフェルムの、自信のある笑みに勇気づけられて、エムルもにっこりとした。
 「では、また近いうちにな。」
 「あっ、あのっ、」
 戸口で挨拶を交わし、立ち去ろうとしたアルフェルムを、エムルがひきとめた。そして、うつむいてためらいながら云う。
 「…また――来て下さいね。いつでも……その、お茶でも、飲みに……。」
 「――ああ、そうさせてもらう。」
 アルフェルムは優しく笑いかけて、そしてもう一度彼女の肩を叩いた。
 「では、な。」



 「フィッティはいるか。そうだよフィッティだ、こないだ入った娘だ……あの、あどけなさの残る、小さくて可愛い、若い娘だよ……俺ぁ、こないだ来たときあいつを一目見てから、すっかり気に入っちまったんだ……!!」
 「アマリア。アマリア……ご指名だぞ……いつもの、コルサード様だぞ……!!」
 「プレミー……向こうのテーブルの方からご指名だ……失礼のないようにな。たぶん泊まりだ……うまくやるんだぞ……!!」
 店の中に、怒号とも思える大きな声がひっきりなしに響き渡る。
 ここは、ヴァンの中でも有名な、美しい女たちばかりが集まると評判の『女神のささやき』酒場、である。
 場所は、中央から四方に分かれる大通りの、その東に延びる通り沿いである。周囲は酒場を始め賭博屋、高級食事処、部屋ごとに専門のメイドを擁するような高級宿が多く、まさにヴァンの稼ぎ所、活気所である。
 その、人がひっきりなしに通る目抜き通りに、これまた各所趣向を凝らした派手な看板を掲げ、飢えた男たちを相手に酒でひとときの癒しを与え、そして望む者にはその肉体でもって、これまたこの上ない至極の時を与える――それが、ここらあたりの酒場の商売の方法である。それゆえに、この辺りの酒場は、二階、時には三階までもに泊まれる部屋を準備している所が多い――客が、好みの女を見つけたときに、その場で一夜を共に過ごせるように、という考えからである。そしてまたそれは、この時代のごく自然な商売の一つでもあった。――まあ、ぶっちゃけて云ってしまえばそれは、酒の力にものをいわせた娼婦館ではある。事実、そういった館の階上では媚薬代わりの香が焚かれ、いやがおうにも気持ちをかきたてるようになっているところが多かった。だがその水商売が、この時代の経済を支える一つの重要な柱となっていたのもまた、まぎれもない事実だったのだ。
 そして、いずれにせよ――
 彼女は、激戦区ともいえるこの辺りで、そんなふうに数並ぶ酒場の中でも、至高、珠玉、随一、などと噂される、有名な酒場女の一人であった。
 だから、そんな怒声の中でも、その名が叫ばれれば、それは誰もがはっとしたのだ。
 「シーナ。シーナ……お前さんのご指名だ……出番だぞ……!!」
 シーナ。
 いつごろから、その名がヴァンの中央界隈に轟くようになったのか――
 だが、確かにそれは今、なにがしかの重みを持っているのは間違いがなかった。その名を聞けば、知っている者は一歩引いたし、そうでなくても、誰かがそうなのだと教えたからだ。
 しかし――
 当の本人は、今はそれどころではないようであった。
 「…シーナ。――シーナ……ええい、何してる。指名だと云ってるだろうが……!!」
 「どうも、のらないんだよ。」
 はあ、と大きなため息を付いてシーナはけだるそうに答えた。
 「なんだかねぇ……ねぇゲイン、今日は帰らしてくれないかい?あたしゃ今日はダメだよ……これじゃ商売にもなりゃしないよ。」
 「おいおいどうした、おめぇらしくもねェ。」
 店の裏に位置する、女たちが指名を待つ間に使う小さくて暗い部屋――そこは小汚くて薄汚れてさえいて、彼女たちが待っている間に使うソファーも使い古されすりきれてぼろぼろの、およそ女性が使うには似つかわしくない場所であった。――その部屋の入り口で、ゲインは戸口の柱にもたれかかりながら眉をひそめた。
 お世辞にもハンサムとは云えない男である。むしろ、小柄でかっちりした外観と片方の目を覆う眼帯、それに、もう一方の目の上を通過するように眉から頬にかけて見られる大きな傷跡はむしろ、彼を見る者を震え上がらせたであろう。――が、シーナがゲインと呼んだその男――彼こそが、この『女神のささやき』の、実のオーナーなのであった。
 「いつもなら、どんなに調子が悪いときでも客が付いた瞬間にしゃんと出ていくおめェだろうに…何か、面白くないことでもあったか?」
 「そういうわけでもないんだけどさ…。」
 愁眉しながら問うた彼にシーナははあ、とため息をついた。
 「あたしだって、時には気持ちが奮い立たないことだってあるさ。人間だからね…。」
 「だが、おめェはそれをいつもプロ根性でカバーしてきてたじゃねェか。…今日に限ってそうじゃねェってのは、なにがしか特別なわけがあるんじゃねェのか?」
 「今日――そう、――そうだねェ……そうかもしれないねェ……。」
 シーナは曖昧に答えて、もう一度大きなため息をつきながらソファの肘掛けに頭をもたせかけた。
 「――あの朴念仁がねぇ…ほんの少しだけでも、女の気持ちを解ってやれる心を持ってればねぇ…。まったく…フィムちゃんと出逢って、少しでも変わるかと思いきや…結局、あたしと別れたときから、なんにも変わってやしないんだから…。」
 「――なんだって?…なんのことを云ってる?」
 「なんでもないよ。」
 「――しょうがねェな。」
 ゲインは諦めたようにふう、とため息をついた。
 「おめェに出てもらえねェ、ってのはウチとしては大損なんだが……そのおめェがそこまで云うのならな…しょうがねェ。こっちも、今日はあがったりだが……しょうがねェ。」
 「…………。」
 シーナはもう一度大きなため息をついた。
 「仕方ない、出るかねェ……。」
 「……本当に調子が悪いのなら、無理をする必要はないぜ。」
 ゲインはやや気遣い気味に云った。が、シーナは首を振った。
 「そういうのじゃないんだよ、そういうのじゃ……。」
 シーナはひときわ大きなため息をついて、頭をもたげた。
 「――しょうがない、出るよ……仕事だものね……。」
 「いいのか?おめェのことだ……他の女どもならともかく、おめぇがそういうのなら…無理に出る必要はないぞ?」
 「いや――いいよ。出るよ……。」
 シーナはけだるそうに身体を起こした。
 「あたしも酒場女として生きる道を選んだ女さ……呼ばれてるのなら、出なきゃね……行くよ。行かなきゃ……シーナの名がすたるってもんさ……。」
 「いいのか?…ウチは、なんだかんだ云ったっておめぇにゃ稼がせて貰ってるからな…まあ、だからこそ俺も、おめぇがそうやって気ままに振る舞うのを唯一認めてるんだがな。――調子が出ねェのなら、無理にとは云わんが……?」
 「出るよ。出るったら……そうでなきゃ、他のコたちにしめしがつかないからねェ……。」
 シーナはふう、と大きく息を吐いて、立ち上がった。彼女は両手で髪をかきあげて整え、そして身だしなみを整えるために準備されている、正面の大きな鏡に向かって姿を映し、アイシャドウの乗り具合、口紅の色具合を見、そして色とりどりの宝石をちりばめたペンダントの位置を整えて、もう一度髪をかきあげると、きりっ、とした表情になった。
 「…いいのか?」
 「ああ。お客様のご指名だ…行くよ。」
 ゲインの横をすりぬけ、シーナは酒場へと向かう。そして、戸口をくぐると――
 「――おっ、シーナだ。」
 「よぅシーナ…俺と一晩寝る気になったか?」
 にわかに場内にざわめきが起こる。
 「なに云ってんだい、そのつらをもうちょっとどうにかしてからおいで。…ほら、手を出すんじゃないよ、よしなったら。」
 彼女が現れると、あちこちから声が投げかけられる。そのなまめかしい尻に向かって伸びてくる手をたくみにかわしながら、彼女は指名があった相手に向かって歩み寄る。
 「…なんだいあんたかい、イスティ…久しぶりじゃないかい。」

TO BE CONTINUED

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