Well, I'm serious

比較的まじめなお話


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8月6日 『さらば夏休み』
今年も、夏休みが終わった。

そもそも、ウチの会社は、単独の祝祭日がない代わり、毎年七月の終りに一週間の夏休みがあるのだ。
だから、祝日などは『くしょー、七月を待ってろよ!!』などと考えながら、ガラガラの道を通勤するのである。

去年の今ごろといえば、フィムの行動ルーチンを煮詰めるのに四苦八苦していた。
ツーリングに行こうと思っていて行けなかったことをぼそっと書いたら、それに対して励ましのメールを頂いたことも憶えている。

で、今年。
――結局、去年と全く同じことをやっている。
もちろん、色々と他にもやらなきゃいけないこと(?)はあって、例えば友人とサーキットへ行ったり、焼き肉パーティがあったり、バッティングセンターで二本目のホームランを狙ってみたり、はたまた祖父の一周忌があったりと、いろんな意味で忙しくもあったのだけど――

結局、自分が帰着していた所は、ペルソナだったのだ。(※1)

ペルソナウェアそれ自体は、徐々に法人の方へと移動していくだろう。

それは、シェア化以前の時点で、ゲティは感じていたことだったし、何人かのヴェンダさんとも話をしたことでもある。

ペルソナウェアは、すばらしいソフトウェアだと思う。そして、ビジネスになるそれだとも思う。――しかしながら、ある『常に更新されるべきキャラクタ』を考えた時、もっとも説得力のあるのは、金を貰って働く者が開発し発行する『法人として扱われる』キャラであろう。

その意味では、個人ヴェンダなどは、小さな存在だと思うのだ。
所詮、アマチュアの範疇で行動する我々が、報酬を得てプロジェクト単位で動く法人に太刀打ちできるとも思えない。

――しかし、また同じ事をしている。
しかも、フィムで得た経験と、この半年で稼いだ『とっくんのせいか』から、もっとムチャをしようとしている。

もはや、サルであるとしか云いようがない。
――だけれど、自分が『なにかをひとに伝えること』を考えた時、それは、大変有力であるとも思うのだ。

 実際、今、『ゼロ』を組みあげてきたこの夏休みは、自分の中でも、一二を争うくらい充実しているのだから。


 ところで今日は、広島の原爆投下の日ですね。
 ワタシも、原爆関連の読み物は英語/日本語を問わず、かなり読みましたが。  とにかく、55年目である今日――当時、命を失われた人々が、安らかに眠れますように。


※1 本当は、フリーで頑張っているプラットフォームを応援したいのだ。だけれど、自分が表現したいものを表現出来ないでは、本末転倒だから…。

8月1日 『YsII』
YsIIエターナルの発売日が近いので、店頭でデモをやっていた。
1ブロック離れていてもピンときたその曲は、多くの者が当時『カッコええ〜!!』と叫んだ、オープニングテーマだった。

オリジナルの発売は、いつだったかな。
10年ちょっと前だと思うんだけど。

Ysが出た時、その曲に驚かされた我々は、当然YsIIにも期待した。そして、ファルコムはそれ以上のものを出してきた。その一つがオープニングデモであり、そこで雰囲気作りに猛威を振るっていた(?)のが、件のオープニングテーマであったのだ。

Ys1では、PSGでドラムを鳴らしていた曲が多かったのだが、YsIIではガラリと変えて殆どの曲でFM音源ドラムを使っていた。オープニングもそうで、『コタッ ココタッ ココタッ』という堅く軽い音が耳に新しかった。あれをどうにか再現したくてFM音源のパラメータをさんざいじったのだが、ものすごく難しかったことを憶えている。手品と一緒で解ってしまえばなんてことはなかったのだけど。

あの曲は、自分で『こういうのを創りたい』という、ある方向での解なのかもしれない。で、当時は散々解析というか、ベースのフレーズだとか、コードだとか、メロディの流し方だとか調べた。アレンジも、MSX、PC-88、そしてMIDI(CM-500)と、3回やっているから、もう全パートが頭に入っている。今すぐ再現しろと云われたら出来る。…多分。(やや自信なし)

で、その店頭デモの曲。
――なんというか、寸分たがわずそのままである。ベースパートも全く同じ。もちろん、少しばかりアレンジはされてるけど、基本的に当時の曲をそのまま再現したようだ。それはそれで、我々のような『当時のファン』には嬉し懐かしなのだが、半面、ちょっともの足りない気も。あと、店がノイジーで細部は聞き取れなかったのでなんとも云えないのだけれど、打ち込み全開だなぁ…という雰囲気はあった。多分これも、当時の雰囲気を損なわず、という意図だと思う。でも、ギターなんかは楽器でもよかったんじゃないかなぁ。あるいは、もうちょっとメロディをベンドで上下させるとか。

まあ、いずれにせよ、好きな曲であることにかわりはないわけで、しばらくそのデモの前で足を止めて、それに見入って(聞き入って)いたのであった。

7月23日 『ビジネス』
ペルソナウェア。
ゲティもお世話になった、ネットワーク更新対応仮想人格実現プログラムである。

少し前に、春菜プロジェクトが法人化の発表をしてから、一部ではまた騒ぎが起きているようだ。

まあ、それはこれまでに何度も何度も話のあった、値段が高いだとか、0.93を残してくれだとか、主にそういうもので、同様の議論を過去に何度か見てきた者の一人としては『またか』の感は否めない。

春菜プロジェクトの対応と行動は、ビジネスとしてはしごくもっともなものだと云える。彼らは、間違いなく、彼らの制作したものはビジネスになると考えている(そしてその通りだろう)わけで、法人化云々の話も、きっと遅かれ早かれそうしていただろうし、それがちょっと早くなっただけと云えよう。

また、メールなどでの対応も、ビジネスとしては完璧だ。良くも悪くもウエットな部分を含まず、『これは仕事なんだ』という対応である。(もちろん心の中にはそうではない部分もあるだろうし、それは少しばかり示唆されていた)

さて、だからどうなんだというと…どうでもないのだな。
今の段階では不確定な要素が多すぎて、今すぐどうとは何も決められないからだ。

2500円が高いという意見がある。2500円という数字だけを見れば、中高生にはそりゃ高いだろう。しかし問題はそうではなくて、ペルソナウェアに2500円を払う価値を見いだせるかどうかである。そしてそれは、0.97対応のペルソナが何体かそろわないと判断できないわけで、今高いとか安いとかいってもどーしょーもないと思うのだな。

他にも色々意見は飛び交ってるけど、やっぱし今の段階では待つしかないとも思うのだ。

ただ、確かに複雑な問題ではある。結局、システム・ヴェンダ・ユーザが分かれていることで、一方の側から見ると確かに正しいのだがそれを他の立場から見るとやっぱりウンとは云えない、という状態になってるからだ。むむ。

ペルソナを作る側(ヴェンダ)からすると、0.97は確かに使いやすいと感じた。ワタシ自身は、自分で、自分がしたいことをするために、2500円払って0.97ペルソナウェアとPDKをゲット出来るのなら安いや、なんて思うようになった。とにかくコードの管理が楽なのだ。

だけど、ヒトにそれを払わせるのは、やっぱためらうよねぇ。ウン、春菜プロジェクトの、『ペルソナウェアそれ自体は、一つもってれば、どんなペルソナでも動くのだ』は正しいし、ワタシが同じ立場なら同じ回答をすると思う。だけど…やっぱし、納得できない面もあるよ。そしてそれは結局『0.97対応のペルソナが何体かそろわないと判断できない』に帰着してしまう。

難しいね。


7月2日 『ひとつのことの終結』
フィムをやめてから、約半年。
とりあえず『とっくん』してきてみた。
今回の五万HIT絵は、自分の中で、ある意味一つの答えだと思う。
特別な手法だの、パースだのは使ってはいないけれど、だけどこれはやっぱり、ひとつの形なのだ。

CG(というか、あらゆるコンピュータ関連の創作)とは、ツールへの習熟が、少なくない割合を占める。
ワタシは、ワタシの絵が所詮レベル1を突破しただけだということは重々判っているし、これからも、あらゆることを学び続けなければならないこともよく理解している。
だけれど、そのレベル1の中に、ツール習熟ということは、避けられずにあったと思うのだ。
それが、フィムを続けながら修了出来ていたか。
恐らく、『否』だと思う。

この半年に、絵を描くことに費やした時間は、仕事と同じくらい多い。
だけれど、そこで学んだことの多さは、きっと他人には理解できないだろう。
もちろん、それで奢るつもりもないし、今後も精進を怠るつもりもないけれど、とりあえず、これを一つの里程標にするくらいなら、ばちはあたらないだろう。
そして、そこで身になったことは、今後、大きな力になるだろう。

フィムを止めたとき、裏切りだ、と感じた人もいたかもしれない。
だけれど、わかってください。あのままでは、ゲティは、進歩はなかったのです。
今ならはっきり云えます。ワタシは今、フィム以上のものを創る事が出来る。
それは、新しい力を、手に入れたから。
以前では、考えられなかった、まったく異なる力を、手に入れることが、出来たから……!!

6月16日 『こころの中にあるもの』
TVで紅の豚をやっている。
絵を描きながら、観てみる。
なんだか、どきどきする。

こういう感覚は、いつかあった。
あれは…多分、高校の時。
実は、ラクガキながら、マンガっぽいモノを描いていたときがあった。それは元々、コミック版『ザナドゥ』に影響されて描いてみたもので、たったの数ページしかなく、鉛筆描きのそれで、もちろん内容はひどいなんてものじゃなかった。――中学で、美術の時間に、与えられた課題をこなす代わりに、テラジ(ゼビウスのキャラ)のドット絵を描いてたりしてたわけだから、当たり前である。…それはともかくとして、自分としては、それをやっているときほど楽しいときはなかったのだ。それはつまり、自分が『自分の求める世界』を実現できた瞬間だったからなのだろう。

同じものを、紅の豚のなかに見た気がしたのだ。

今、自分がそれを出来ているのかと云われると、即座にYesとは云えない気がする。
自分が、何を得た代わりに、何を失ったのか――
それを、説明は出来ないけれど、確かに、何かを失ったのだろう。
それはある意味仕方がないし、避けられないとも思う。
ただ、やっぱりそれは、こういうことを続けていこうとする限り、失ってはならないものだとも、思うのだ。



…妄想を持ち続けるという意味じゃ、ないからね☆

6月4日 『ノリ2』
うーん。
アメリカから帰ってきてから、どーもエンジンがかからない。

50K絵は、ボチボチ始めてるのだけど、天性の遅さもあいまって、まー進みゃーしない。

ひとのヤル気って、なんだろう。
難しいよね。いろんな要素が絡んでくるし。

実は最近、『俺は何をやってるんだろう症候群』に、再び苛まれつつある。
どーも、周期的にマイナス思考に入ってしまうことがあるらしいのだ。確かに、過去を振り返ると、特に理由もないのにどーしよーもなく落ち込んで帰ってこないことが多々あった。去年は忙しくてそれどころではなく、幸いにしてそーゆーのはあまりなかったが、それでも何度かやっていることに対して疑問が出た瞬間があった。

例によって、時間で解決するしかないのだけど、しかし、ホントにこれナンだろね。
そりゃそんな気持ちが心の奥にあれば、いい作品なんて出来やしないよね。

そう云えば、今日は、ひむを公開したその日ではないか。
と、ゆーことは、このサイト公開一周年というワケだ。
だのに記念作の一つも出せないのも情けないが、それに対して何とも思わない自分も情けない。

まあ、今更慌ててナニかを出して取り繕うのもアレなので、ゆっくり行くことにしますです、ハイ。

5月25日 『ひとのこころ』
 前を歩いてる人が扉を開ける。
 と、ワタシのために開けて待ってくれている。
 『サンキュ☆』
 『シャー』
 (と聞こえる。別におしっこではない)

 かあっこいい。

 廊下を歩いてて、向こうから来る全然知らない人が、にっこり笑って、『ハイ』の一言。こちらも思わず笑って、『ハイ』。

 ちいさな一つ一つのコミュニケーションが、その日一日を楽しいものにしてくれる。

 もちろん、全部が全部そうではないし、中にはむっつりな人もいる。
 でも概して、アメリカ(特に南部から来た)人たちは、挨拶が好きだ。そして、笑顔がきれいだ。きっと、他人を楽しい気持ちにさせるということに、少なくともいくらかの意味を感じているからなのだろう。

 いったい、違いはなんなのだろう。
 文化だから仕方がないという意見もあるだろうが、必ずしもそうじゃない。
 きっと、日本人は、時間と仕事に追われ、そんな気持ちを失ってしまったのだ。昔見た、時間を『貯金する』話――人々は、せっせと自分の持ち時間を『貯め』、その代償として、心の余裕を失っていく。怒りっぽくなり、他人と話さなくなり、そして次第に人間同士の関係が崩れていく――その、物語で読んだまさにその道を、今我々は歩み続けているような気がしてならない。

 そんな、簡単には変えられるものじゃないけど――
 時には、やっぱり、むっつりしてしまったりもするけれど――
 できるだけ、それを心に留めて、人を楽しくさせるように、努力したいと思う。
 『感情』は、『ひとにうつる』ものだと思うから――。

5月18日 『The grass is no more greener on the other side』
いつもの突発渡米。渡米のおみやげを探してデパートをウロウロ。(ワイロを与えておくのとおかないのとでは、向こうのエンジニアの態度が違うのだ(><)))

ふと、8bit、もとい8beatのロックが耳に入ってくる。思わず足を止めるゲティ。

コード進行が似てたので、最初はHideの『Tell me』かと思ったのだ。だけどよく聴いてると違う。洋楽らしい。とある雑貨店でかけられていたその曲について訪ねてみると、SAVAGE GARDEN『AFFIRMATION』だった。

ものすごくシンプルなコード進行。途中で転調するけれど、それ以外はサビさえスリーコードしか使ってないのだ。(←チョ〜乱暴に云うと、ドミソ・ドファラ・ソシレしか聞こえてこない)

それでいてたたみかけてくる。思わずその足でアルバムを購入。

ゲティはこういう、シンプルな曲は好きだ。それだけに語りかけの内容が大きいからだ。それとともに、歌詞の方もかなりお気にになった。悟りっていうわけじゃないけれど、『失って初めてそれに気づくんだよ』的、すごく心に響いてくるものだった。わりと目から鱗だった。

今回のタイトル『The grass is〜』はその一行。日本語で云うところの『隣の花は赤い』を意味する『The grass is greener on the other side(of the fence)』のもじりだ。――それを歌詞に使ったところと、その表現のうまさに感動した。そして、その意味するところに心打たれた。

たぶん、その解釈は人によってまちまちだろうけれど…きっと、ああ、と思うものがあるはず。

ゲティはそれを、『人のものばっかりうらやましがってないで、自分を見つめ直してみなよ。ほら――きみだって、いいものをもってるじゃないか』と解釈しましたが――

みなさんは、どうでしょう?

5月3日 『とにかく、一歩ずつ進むだけさ』
よーやく、8作目が完成した。
今回は、(壁紙にするしないは別として、挑戦という意味で)壁紙サイズでのトライアルだった。
これは、かなり厳しかった。そもそもこの大きさになってくると、当然ゴマ化しは効かないし、そしてフィールドが大きい分、描き込みの量も多くなる。結果として、当初睨んでいた3.5weeksの予定を上回り、一月を費やすこととなった。

まあ、結果の方はWorksを見ていただくとして(そして、課題も多く残っているのだけれど、それは『次はよりよく出来る』ことが確信できているから、ここではあまりこだわらず前へ進むとして)ここまでで、ほぼ自分の睨んでいたものは得る事は出来たであろう。

よく人にも云うのだが、大事なのは、目的をしっかり定めることだ。目的が決まれば、そこにかける労力が見えてくる。それは、目的が定まっている以上、必要な工数であり、従い、自分がそれに力を注ぐのになんのためらいもない。それは、あなたがそれをやろうとするモチベーションに、ひいては継続への強大な力となる。また、必要以上の工数を無駄にかけることを防ぐ目安ともなる。

――自分の、思うレベルに、あと一枚。
必要な工数は、おそらく一月と睨む。
泣いても笑っても、あと一月で、2000年1月1日から続けてきた特訓に、まずは一つ目の休息が訪れる。

――こういうのは、得意…というか、馴れているのだ。
月8万ずつ、4年間で400万貯めて車を買う。そんな、長年の日々の努力であるものを勝ち得る……それは、これまで、何度もやってきたことなのだから。そう――500円の小遣いを、一年貯めて、6000円のゲームウォッチを買う。同じ事だ。親のクリスマスプレゼントのない少年時代――それが普通だった。アテにならぬ他人より、自分の努力がものを云う。そんな少年時代を、生きてきたのだ。
3年に対して、たった半年の我慢……短いものじゃないか、期間としては。

あと一歩。気を引き締めて、がんばっていこう。

4月28日 『レイヤ地獄』
PhotoShopでガリガリ色を塗る。
スワップが激しい。ナゼかグラデーション程度でHDがカラカラ鳴る。
ふと、気付いてレイヤを見る。
80枚を越えている。

PhotoShop使いでない人のために解説すると、レイヤというのは、PhotoShopで扱われる単位の一つで、絵を描くための透明なシートだと思えばよい。重ねれば、下にあるものは隠れる。

もちろん、この概念も、ゲティはそれこそ今年の初めまで知らなかった。というか、必要でなかった。

ただ、やっぱり、一枚絵を仕上げるのなら、活用しない手はない。
それも、可能な限り重ねてしまわないで、最後まで残しておいた方がよい。オブジェクトの配置など、レイヤを残しておけば自由自在であるからだ。

そんなわけで、放っておくと、どんどんレイヤが増えていくのである。
そのうちに、レイヤの名前が何だったかも判らなくなってくる。
気が付くと、まったく違うレイヤに塗っていたりして、困ったりする。

…ハイ、要するに、だいぶイヤになってきているのです。

4月22日 『Com'on, hang in'ere...!!』
去年の今頃。
ロジックと、綾織と格闘し、ひたすらスクリプトを組んでいる頃だ。

今だに、『ペルソナフィムをもう一度』と云われることがあって、かつてそれを運営していたヴェンダとしてはすごく嬉しい。

まあ、以前にも云ったのだけど、とめた理由はいろいろあった。CGを『ちゃんと』やりたかったし、いつアメリカへ長期滞在になるかもしれなかった。そのフィムというつくり、メンテ性の悪さのため、後半爆発的に増加した工数が時間を圧迫し、完全にキャパを超えた。そしてプラットフォームが大きく変わること――その変更に、容易には追従できないくらいに、中身が肥大化していたのだ。

あれから、約4ヶ月。
少し様子も変わってきた。

米国滞在の話は、現状、10月以降か。
2月から7月へ、そして8月、9月と延び、それがまたさらに延びた。いつものこととはいえ、勝手なものである。…もっとも、延びているだけで、行かなければならないことに変わりはないのだが、当面は落ち着いていると云ってよいだろう。夏休みも取れそうだし、祖父の一周忌にも出られそうだ。

CGの方は、ご存知の通り、依然特訓中である。もっとも、この4ヶ月の集中特訓で大概のことは出来るようになったから、こちらはこのまま予定通り5月一杯でまず第一段階は修了できるだろう。

余談だが、こういうのは、自分が100を目指しているのなら、まず120に向けて進んだほうがよいのだ。いずれそれから離れたときに、多かれ少なかれ能力は落ちる。本質的に理解しているのではない部分は、どうしても薄れてしまうからだ。+20というのは、その落ちる分であるが、同時に、加えてもがんばれば何とかなる、そしてかろうじてイヤにならずに済むラインでもある。――それを目指しているからこそ、今でもしつこく食い下がっているのだ。

プラットフォームは、どうなるかわからない。
出来ればDTCで何かやりたかったが、プログラマ不足など種々の問題、そして言語仕様の問題から、こちらで自分の思うものを実現することが難しくなってきた。

一方でペルソナウェアは0.97系に入ればシェア化する。シェア化論議はここでは置いておいて、ゲティ自身とすれば、出来ればフリーのプラットフォームを応援したかった。だが、使い慣れ、かつ洗練された綾織言語系が開発という立場から見て魅力的なことは確かである。

まあ、いずれにせよ、どれもまだすぐには答えが出ない。
今は焦る気持ちを抑えて、出来ることをやっていくしかないようだ。

4月9日 『不言実行』
げっちぃは、基本的に、『口だけ』というのはキライだ。

まあ、ここらは、ある程度は駆け引きもあって、出来るかどうかわからなくても『イケます!!』とはっきり云いきることも大事な場合もある。特に技術関係の仕事の場合、イケイケで押しきってしまう場合もままある。…それはそれでOKだと思うのだ。

――でも、アマとして自分でなにかをやる場合、(人が自分に対してどうこう云うのはともかくとして)自分では自分が出来ないことを人にやいやい云いたくない。それはなによりまず説得力がないと思っているし、人に意見するからには、何がダメだけではなく、どうすればより良くなるかを示して初めて意見たりうるとも思っているからだ。

そんなワケで、今はひたすら走っている状態である。
とにかく、一通り自分でやってみないと、見えるものも見えないからである。

少し前に、『そろそろ「修業中」を外したら?』と云われた。
ワタシがまだ『修業中』のカンバンを外さないのは、そんなワケがあるからである。

自分の中で決めたスレッシュホルドはきちんと存在していて、それは誰に云われるともなく、自分自身で、日々越えるべく努力を重ねているあるレベルである。
あと2枚、考えとしてあるものを仕上げれば、そのスレッシュは越えられるだろう。その時が『修業中』を外すときだと思っているし、別段、いつまででも初心者マークに甘えるつもりもない。自分の中での、けじめの問題である。

…もっとも、こういうのは、色々つらいのだけどね……。

3月29日 『Step by step』
ようやくPhotoshopに馴れてきた。

もちろん、フィルタを組み合わせて効果を出していくのはまだまだなんだけど、とりあえず、基本的なことに関しては困らなくなった。(まだまだ時間はかかってるけど…)

大体、最初はパスって何よ?という状態だったのだ。というか、ついぞ二月前まではパスなんか全然知らなかった。でもこれに馴れると、アニメ的な絵には特に楽になる。機械的なものも楽になる。

あとは、今描いてるのでは、光の進み方をだいぶ学ぶことが出来ている。どういう曲面で、どういう素材だからどう光る…というのが計算できるようになってきた。これは楽しい。

ただその分、以前に比べて作業するレイヤの数が爆発的に増えてきた。

…新しいマシンが欲しい…。(でも今は絶対待ちだと思う…)

3月24日 『ノリ』
自分でも思うのだけれど、自分の作業ってムラがすごくある。ファステストラップもたたき出すけど、レース自体は途中でスピンしてリタイヤ、みたいな感じである。(あかんやん…(><))

何か一つスイッチが入りさえすればターボが効き出してイケイケになるのだけど、スイッチが入るまでが遅い。たまごひむは結局スイッチが入らないまま最後までいっちゃった(…今から考えてみれば、よく仕上がったなアレ…(TT))し、メリスにしたって、よしと感じたのは85%ぐらい出来てからだった。

だいたい、げっちーは典型的な日本人型で、応用は上手いのだけど、ゼロ発進がうまくないのである。だから抽象画とか描けないし、今までやったことのないことをしようとすると途端に動きが止まる。これは曲でも一緒。この状態から、ターボが効き出すまでの間がなんと長いことか…。

みんなそうなのかな?

3月18日 『あったかくなってきて、思うこと』
3月もなかば、日増しに暖かくなる空気が、春の到来を思わせる。

予定通りなら今頃アメリカにいるはずだったのだが、例によって突発的なスケジュール変更から、幸か不幸かまだ日本にいる。*現在の*予定では7/9/11月頃にそれぞれ一月ずつ出張、というぐらいだろうか。まあ別にいいのだけれど、こんなことなら出張用ノートPCを買うのをもう少し待ってればよかったかな…。

去年の今ごろはと云えば、ペルフィムの仕様を考えていた。大体仕様決めに二ヶ月、初期ヴァージョンのコーディングに二ヶ月費やしただろうか。今ごろはまだモノになるかどうか判らないレベルだった。

人間って勝手だなと思う。いざペルフィムをやめてみると、今度はまたやりたくなってくるのだ。――まあ、ペルフィムは色々と制約が多すぎた(プログラム的にも、仕様的にも)し、内部的に複雑になりすぎたし、ハネも邪魔だった(!)から、アレを再開することはまずないけれど、ああこういうのやりたかったな、これもやりたかったななんてのは今でもいくつも脳裏に浮かんでくる。

まあ、ちょっと今はいろんな意味で過渡期だと思うので、当分は自分の経験値稼ぎをしておいて、そのうちまたなにか始めたい。――つくづく、自分って、『何かやってないと死ぬ』タイプなんだなあと思う。

3月10日 『Struggle』
この単語が好きである。日本語なら『闘争』『奮闘』ぐらいだろうか。何かを得るために、苦労して苦労して努力を重ねて近付いていく、そんな感じである。単語の響きも良い。

今必死に描いている絵のファイル名を見ると、2/29になっているから、始めてから早くも10日が経っているわけである。ちょっと大きいのに挑戦しているのと、片っ端からトライアルを重ねているおかげでちーとも進まないのだが、ここにきて少しだけ、収束しつつある。絵的などうこうはともかく、ツールの使い方とか、線をどう描くかとかいったそういうことに関して、ようやく土台とでもいうべきものが固まってきた。

ペルソナをやっていたときは、とにかくグラフィックで困った。気付いていた方がいたかどうかわからないが、ベース画像にせよ顔のパーツにせよ、リリース後幾度となく描きなおしているのだ。――だが、今同じものを描くならば、数分の一の時間で済むだろう。次に何かを始めるときにも、大いに助けになるだろう。

もちろんそれはまだようやく最初の一ステップであって、先は長いのだけれど、とにかくローギアで最初のタイヤ一転がりを刻めたことは大きいと思っている。

3月1日 『葛藤』
苦しんだ。本当に苦しんだ。どうころんでも描けないのである。これまで、『時間をかければ物事は必ずどうにかなるものだ』と信じてきたその信念さえ完璧に覆された。何枚下描きを捨てたかわからない。人の絵を見ても、どこがいいのか悪いのか判断できない。直しても直しても、『これでいこう!!』というポイントが見えてこないのだ。言葉ではなかなか伝えられないけれど、これは本当に参った。迷いとは人をここまで『正常に働かなくさせる』のかと、驚きを通り越して思わず笑ってしまう自分がいた。

――むろん、今でもまだ悩んでいる。第一のポーズで投げるか、第二のポーズで投げるか迷っていた桑田の心境である。ポイントごと、ヘタをすると5分ごとに『これはどっちがいいんだ?』『どうするのがベストなんだ?』と動きが止まる。だから人より遅い作業がますます遅くなる。

でもきっとそれは、先人たちが同じようにして歩んできた道に違いないのだ。


桑田は結局、高橋のスローイングを見て、第一のフォームで投げる決心がついたという。
いつか、自分の中で納得できる結論が出せる日も来るだろう。

2月15日 『試行錯誤』
ちょうど、時期的にもよいので(管理者注:ちょうどこの時ゲティはCGを一枚上げたところだったのですが、それについて掲示板でちょっとした議論がありました)『壁』からの続きともいうことで、このお話を。ゲティは、中途半端にあっちにもこっちにも手を出すため、人以上に迷うことが多い。特に絵に関しては、もともと美術が大嫌いであったこともあって、スタイルが全く確立していないため、あることをしようとしたときに完全に止まってしまうこともある。で、しょうがないので、自分に合いそうなモノを片っ端から探して試していくワケである。納得がいくまで、何時間でも、何日でも――試しては気に入らず消して、また試して――こんなムダな方法もないけれど、辛い筋力トレーニングなしに、レギュラープレイヤーになることは出来ないから、今は、歯を食いしばって、一つずつ鍛えていこうと思う。

2月3日 『壁』
(『ねた探し』からの続き)そうは云うものの、何かを作っている途中でカベにぶつかってしまってにっちもさっちも行かなくなることもしょっちゅうである。特に、調子の悪いときは、例えば曲でも、いったい次にどう展開すればいいのかとか、いったいそのパートの音色として自分が使いたいのは何なのかとか、まるで今まで積み重ねてきたモノが一切無駄であったかのようにスタックしてしまうことがある。アマチュアなら放り出すのも一つの手で、そこでやったことは無駄にはならないはずだし、他の作品のネタに再利用するという手もあるけれど、どうしても解決したい場合、ゲティは――思いつくこと(思いつかなければ、調査してでも)をぜんぶ試していく。トライ&エラーである。時間をかけてあらゆることを試す。これしかない。

1月29日 『ねた探し』
仕事をしている。ふとメロディが浮かぶ。とりあえずメモを取る。ゲティの場合は、馴れていることもあってMMLを使う。(これは、仕事中に書いていても悟られにくいというメリットもある)人によって様々な方法はあると思うけれど、ワタシはこうして思いつくものをメモに残してあとから吟味するという方法を取る。もちろん、人間の状態というのは一定ではないから、その時はこれはいけると思ってもあとからもう一度見てみると全然大したことがないというのはよくある話であるが、それはそれで構わない。結局この方法は、きっかけ作りをしやすくしているだけなのだから。…とりあえずその場で一通り考えてみて、ものになりそうならとりかかるし、ダメそうならそれは他の曲の題材にする――こんなふうにして、ボチボチ作っていったのがこれまでの曲である。――何かを創るということは難しくて、なかなか一筋縄ではいかないけれど、ひとつきっかけをつかむことが出来たら、結構なんとかなるものである。

1月12日 『曲の難しさ』
何か思いを伝えたいと思った時、『聴』すなわち音楽は、『視』に訴える他のメディアより一回り難しいと思う(あくまで私論だが)。特に、人間がある曲を聴いた時、そこには『過去に同様な曲を聴いた時のシーン』という外乱的要素が入ってくるので、なかなか、それ単独で人に何かを伝えるのは難しい。ただまあ、敷居の高さそれ自体はそれほど高くないと思う。マネも割と効くと思うので、迷っている人がいたら、一度挑戦してみては如何だろうか。

1月8日 『絵とはなんぞや』
ハッキリ云って、ゲティは絵が得意でない。元々美術は大キライだったし、デッサンの時間には木片を削ってモトスを作ったりしていたし、今だって何か一つカンタンなイラストを描くだけでもウン十時間かかってしまったり、しかも時にはそれでもうまくいかずそのまま下描きの紙を丸めて叩き付けてしまったりさえするワケである。要するに、質/時間 の比がものすごく悪いのである。――逆に云うならば、諦めないで時間さえかけてコツコツ(ねちねちとも云う)やれば、アマチュアである限り誰だって何とかなるものなんだと思っている。